みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

往復書簡はじめました

写真家の長島有里枝さんは、去年出会った中で、最も好きな書き手のひとりだ。

以前からもちろん名前やあの有名な家族ヌードの写真は知っていたし、テレビや雑誌のインタビューを見かけたことはあったけれど、これまで文章は読んだことがなかった。

 

長島有里枝、山野アンダーソン陽子著/晶文社/2022年

昨秋、本屋で偶然手に取った「ははとははの往復書簡」(山野アンダーソン陽子さんとの共著)を読んで、心強い同志を得たような思いになった。

こんな同世代が踏ん張って力強い言葉を発しているなら、まだまだ捨てたものではないな、私も頑張らなくっちゃ、と。

それで、昨年後半は彼女の著作や写真集やネット上のインタビュー記事などをぐんぐん読み込んでいた。

 

本業写真家なのに、文章もあまりに上手いんだけれど、やはり彼女の生きる姿勢や本質をぐっと逸らさず見つめる強く深いまなざしに魅きつけられる。

とりわけ、個人のことから社会のことまで、目の前に立ちはだかった問題や課題に対して、ごまかしたり傍観したりすることを潔しとしない、長島さんの肝の据わった「応答性」にはハッとさせられた。

今のご時世、なかなか見られない貴重な資質だと思う。

 

今って、ほんっと誰も聞いたことにとことん答えないよなー!という感覚が私はある。

直接の当事者として応答責任を問われるような場面においてさえ、都合の悪いことは平然と答えなかったり、スルーしても大して追及されずにうやむやに許されてしまう。

説明の場にさえ出てこず、隠れたままでいるケースも多い。

もちろん大元は権力者たちの悪い振る舞いにあると思う。

「あれが許されるんなら自分も」って、誰も彼もがあっさりとあのやり口を採用するようになって、あっという間に全国的なスタンダードみたいになってしまった。

本当に本当に罪深いことだ。

 

また、炎上や誹謗中傷が日常になってしまったことの弊害もあるだろう。

何か意見を言おうとしたら、結局どこまでも角が取れて毒にも薬にもならないくらいに薄まった、一般化された意見ばかりになる。

全方位からの攻撃を避けるあまりに。

今の時代は、自分の考えを言うことがあまりにもリスキーな世の中になってしまった。

 

それでもやはり、誰もが自分の考えを自由に言う、声をあげる権利は、簡単に手放してはいけない大事な基本的人権

ばらばらで矛盾もはらんだ無数の言葉たちが彩る世界が、多様性や自由を担保する。

 

「ははとははの往復書簡」で、長島さんが言っていたいくつかの印象深い言葉たち。

しれっと本当のことを言って場に一石を投じる

ただ言いたいことを言っている人でいい

言葉にできていないことを、言葉にしてその辺に落としておく

往復書簡みたいに二人が対話しているところを公開するみたいなのはいいよね。

結果こうなりましたを見せるより、途中経過で生まれたやりとりもそのまま残すことができて。

 

ふーむ、時には分からなさや相容れなさもあったり、やりとりする中での気付きや変容も見えるような、正直な言葉を交わす往復書簡かあー、私もちょっとやってみたい。

そんな訳で、数年前に某創作教室でご一緒して以来、互いの文章を読み合ってきた同世代のMさんに思い切って声がけさせてもらったところ、快諾してもらった。嬉しい!

 

プラットフォームもまだ立ち上げたばかりだけど、おそるおそるスタートしてみたので、興味あればぜひ訪れてみてください。

言葉をぽとんと落としていただけたら喜びます。

Mさんの本業が多忙なデザイナーさんゆえ、更新は月1〜2回くらいとゆるゆるの予定で、(きっとあちこち脱線しつつも)「女の人生と愛」について語れたらいいねと言い合っています。