みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

よわいはつよい

その映画のことを知ったきっかけは、少々残念な出来事だった。

先月開催された今年の大阪アジアン映画祭の上映後のQ&Aで、観客の高齢男性から上映作品に対して侮蔑的な発言があり、それを受けて運営スタッフを含む周囲が爆笑、監督がだんだん涙ぐんでしまったという件。

本作が商業メジャー映画デビュー作の若い女性監督だったことと、その映画のテーマが相まって、「いじめても絶対やり返してこない弱い人」認定をした上で、その人物がいじめ行為に及んだという経緯が容易に想像がついた。

発言自体は、呆れて黙殺するレベル。あほかとしか。

しかし、周囲の観客や運営の一部までが同調して笑うなど、毅然とした対応に程遠い運営のレベルだったことで、その時監督が感じたであろうアウェイ感を想像すると、情けなさと強い怒りを感じた。

 

以前、映画ライターをやってた時期、映画の試写会でこういう訳知り顔の高齢男性にたびたび遭遇したことを思い出した。

さすがにこんな低俗レベルではなく、名のある映画評論家かなんかなんだと思うが、いかにも「顔」って感じで、その人の周囲がサロンみたいな妙な雰囲気で、配給や広報の人がぺこぺこ挨拶しにきたり。

影響力の大きい媒体で、なるだけ良く書いてもらいたいとなったら、そうなるのだろう。

でも、どうして何も作らず見るだけの人がなんだか偉そうなんだろうな?と素朴に不思議だった。

 

どんだけ詳しかろーがなかろーが、映画見とはただ見るだけの人だ。

私たちは、作り手が命削って作っている作品からたくさんのものをいただいている。

もちろん、映画の中には「騙されてはいけない(©️淀川長治)」ものもあるし、「これくらいで満足っしょ、すごいって思うわけでしょ」と観客を見くびったものなどもあり、なんでもかんでもほめたたえるのは違うと思うけど、少なくとも見る側が作り手の上にふんぞり返る要素などはどこにもないと思う。

結局のところ、何のジャンルであれ、創作する人にマウンティングしたりくさしたりするのは、自分が作りたいのに作れなくて、認められたいのに認められなくて、嫉妬をしているこの世で最も見苦しい行いの一つなのだと思う。

けして人としてそんな醜いことにだけはならんようにと自分を戒めるのみである。

 

下手でもつたなくても、作りたければ自分のできる範囲で、黙って自分の手を動かして作ればいいのだ。

 

 

後日、娘氏がこの映画の監督の対談記事を見せてきた。

そこでは、映画祭のQ&Aの舞台上で泣いたこと、その様子がSNSで拡散されたことにも監督自身の言葉で小さく触れられていた。

金子 でも泣くという行為も、一見弱々しく見えますが、場合によっては心の中でキレている可能性もありますよね。(金子由里奈✕高島鈴 「わたしたちは全然大丈夫じゃない」https://meandyou.net/202304-kanekotakashima/ より引用)

高島 どんなに自分が弱い存在に思えても、革命のことを考えながら生き延びているなら、一番先のユートピアを見据えているという意味で強いかもしれないとも思うんです。「弱い」と思われている行為に潜む強さを、もう一度位置付けたいですね。(引用元、同上)

一見弱そうに見えても、実は賢くて、しぶとくて、本質的。

傷ついてぺしゃんこになってなど全くない。

全く余計な心配だった。