みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

農繁期

ひえーもう金曜日。

今週は普段の動きにはないイレギュラーなことが続いて、今の自分を客観視して落ち込んだり、身体的な懸念がどうやら晴れてほっとしたり、何かと気持ちがかき乱される一週間だった。

まだ老人ではないとはいえ、これから自分にできることはだいぶ限定されているという現実がある。

人生の時間を何に振り向けるのか。

intentionから逸れぬよう。

 

農園は農繁期に入り、まだまだ旺盛な雑草と戦いながら汗だくで収穫や管理作業をしている。

昼休憩の前に服を全着替えしなければならないほど汗をかくのに、体重が変わらないのはまったく納得が行かないが、帰宅してシャワーを浴びて体を念入りに洗って、風呂上りにシュワッとするものを喉に流し込むのは、まさに至福でくせになる。

何よりも、なんだかんだ言って農作業が肌に合っている。

他の人たちの辛い、やってられん、という愚痴に調子を合わせながらも、内心、でも私には楽しいなあとふつふつと思いながら手を動かしている。

自分の身体を、頭の上が青空で、風が吹いて、鳥の声が聞こえる自然の中に置いて、常に変化する生き物に対峙しているということへの、なんともいえない充足感がある。

その充足は、これまでの仕事で得てきた達成感や満足感よりだいぶ深い層にある体感で、仕事をすることが、命にダイレクトに滋養になっていくという感覚がある。

仕事をしていてやだなーって思うことはそりゃあるけれど、それは農作業に対してとかではなく、人間が集まっているゆえのいざこざや軋轢などである。

もちろん、これまでだって仕事をする中で自分なりに誠実であろうとしてきた。どんな仕事にもそれぞれのやりがいはあったし、手近に見当たらない時は何とかひねり出してきた。

でも、基本的に私にとって雇われ仕事とは、お金と引き換えに自分を曲げたり抑えたり合わせたりするものだった。

仕事が自分の命を満たしてくれるなんてことを感じたのは初めてのことだ。

もっと早く出会うべきだったのに、いろんなものに惑わされずいぶん遠回りしてしまったのかも、と思ったりもしたが、きっと今だからこそ、これほどフィットしたんだろう。

今の自分なりのものごとに対する構え、優先順位があってこそ。

今は、この晴耕雨読の心地良いバランスを、出来るだけ大事に細く長く続けていけたらと思っている。