みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

帰省

数日過ごした関西の実家から辻堂の自宅に戻ってきた。

前回の帰省はいつだったろう。思い出せないな。

 

老人二人が住む家は、空気が止まっていて、じっと座り込んでいる以外にあまりすることはなく、いつも結局ずっとぱくぱく何かを食べ続けている。

 

父も母も、あんまりどこへ出かけることもなく、ただただ日々を暮らしているという様子だ。

ニュースといえば、誰かの死や病気の話が多くて。

欲しいものもやりたいことも特になく、もう本当に年老いたのだなあとふとした瞬間に何度も胸がぎゅっとなった。

 

あと何度、彼らに会えるだろう。

両手で数えるほどかもしれないのに、いつも本当につまらないことしか話せない。

なんかいい話しようとしたところで忸怩たる思いはなくならないだろう、心の中でいろんな思いを抱えながら、つまらない小さなことをぽつぽつと話すだけ、多分そーゆーもんなのだ。

前々回くらいの帰省の時に、そんな風に思って以降は、少しだけ苦しくなくなった。

 

彼らなりにできる限りのことをしてくれた、と思う。

忘れはしないけれど、少なくとも今ではもう、彼らは私の敵ではない。

もう私をおびやかすほど近しくはない。距離的にも、精神的にも。

 

基本はつつがなく楽しい時間を過ごした。

でも、会えば嫌な思いにさせられることは毎回ある。

それは、彼らにとって無意識的に組み込まれている、無自覚なままなされるコミュニケーションのパターンだからだ。

 

普通に伝えればいいことをいちいち刺々しく言わずにはいられない、シニカルな母親。

内側に常に怒りを抱え、いつもちょっと逆ギレみたいな気配で話す父親。

そんな彼らのありようはずっと変わらない。多分最後まで。

彼らだって私に対して憤りや苛立ちを感じていることはいくらもあるだろう。

完璧な人間はおらず、誰もが未熟でいびつのお互いさまだ。

自分が彼らにしょうがねえなと許され、大事に思われていることも知っている。

 

ユーモアも、憎しみも、せつなさも、怖さも、優しさも、しょうもなさも、ないまぜになっていて、やだなあとうんざりするけれど、会いたい気持ちもあって。

「歩いても歩いても」(是枝裕和監督)を見た時、ああ自分も含めた実家の家族たちがここにいるって思ったけれど、あれは親への言葉にならない複雑で曖昧で矛盾した感情を丁寧に描いているすごい映画だと思う。

 

自分の家に戻ってくると、そういう湾曲したコミュニケーションがないことに、心からほっとする。

自分が自分のままに何気なく口にしたことを、曲解されたり、マウントされたり、からかわれたりすることにいつも身構えている必要がないって、なんて安らかなんだろう。

普段は慣れきって、ぶつくさ不満を言ってもいるが、帰省の後は、いつも自分が作ったこの家族を、自分の心地良いように整えられた家を、愛おしく感じて優しい気持ちになる。

 

今の両親を少しも嫌いでないし、たくさん感謝しているけれど、あすこにいると、私は自分が自分のようであることは、何かだめなことのように感じられてくる。

しまった私、また何か間違ったっけ、どこをどう直さなければいけないんだっけ、って自分のあらを探し出す。

親との関係において、自己否定は自明の前提だったから、実家の環境にあると、いつでもそのモードにすっと自然に入ることができてしまう。

それは必要ない、おかしいことなんだと今では知っている。

でも、とうに乗り越えたつもりで生きていても、いつの間にかそんな卑屈な心の動きをしていた自分に気付くことは今でもわりとある。

そのたびに怒りでかっとなり、そしてしんとした物悲しい気持ちになる。

 

私はもう大人だから、自分が誰と一緒にいるかを選ぶことができる。

人は、素の自分をごく普通に肯定してくれる人と一緒にいるべきだ。

それは、誰が悪いとかいいとか、誰が好きとか嫌いとか以前のことだ。

自分を守るための最低限のことだから、誰もが自分のためにやってあげなければいけないことだ。

辻堂に帰る日の朝、父の車椅子を押して、子供たちと一緒に近所の公園に散歩に行った。

子供たちが遊具で遊ぶのを眺めながら、叔母(父の姉)が達者か尋ねる。

話題に出すまでは忘れていたけれど、叔父が一昨年突然死したのだった。

海外旅行の弾丸ツアーが大好きな、すごくガッツのあるおばさんというイメージだったけれど、流石にがっくりきているだろうなと思って。

 

「ああ、姉ちゃんはふた月に一度くらい、会いにきてくれるよ」と、何度もつっかえつっかえ、どもりながら父が言う。

「突然亡くなったから、なかなか受け入れることなんてでけへん。数時間前には普通に喋っとったんやからなあ」

そんな急やったら信じられへんよなあ、と相槌を打つ。

「夫婦で交代で、一日おきに朝ごはんを作るゆう決まりやったんや。その日は、はるやさんの番やったんや」

父はそう言ったきり、後は黙って滑り台をじっと眺めていた。

 

帰宅したらすぐ訪問介護の方が来て、家を出る頃には父は入浴介助中で、あいさつの声も届かなかった。

夜、無事着いたよと実家に電話を入れたら、珍しく父が代わってくれと電話口に出た。

何度もつっかえつっかえどもりながら、

あんなに元気で可愛い子でなによりやけども、まあ楽しいばかりではなく大変なことも多いことやろう。でも日本一のお母ちゃんなんやから、やれるから、ま、がんばってくださいよ。

と、いうようなことをなんとか言って、ほなまたと電話を切った。

私たちは遠くに暮らしているから、会うたび今回が最後かも、と頭の片隅で思いながら喋っている。

 

ふ、日本一のお母ちゃんって。

なんとかええこと言おうとしたんやなと思って可笑しくて、涙がちょっと吹き出た。