みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

性暴力についての覚書き⑤(性に対する偏見について)

既に日本中が知っている事をわざわざ世界に知らしめる必要があろうか。これが、旧ユーゴスラヴィアセルビアウクライナに侵攻したロシア兵による、非情な強姦致死であるとか、ミャンマーロヒンギャチベットウイグルの女性が国軍に凌辱・強姦、乱暴された、というのなら分かる。

【家族集団と国家集団の権力構造は相似形】

戦争は、男同士の戦いばかりが注目されがちだが、必ず敵国女性へのレイプや、慰安婦問題のような人身御供的な女性提供がセットになっていることは忘れてはならない。

しかし、家族でも国家でも、権力構造の末端にいる、非力で若い少女(少年)たちが犠牲になって組体操のように上部を支えている構造はどちらも同じ。

どちらがより重大な犯罪だと比較するようなことではない。

 

ジャニー氏の犯罪それ自体ではなく、彼の所業を広く問題にすることが恥だという夫人の考え方は、これまで刑法を支配してきた「抗拒不能」と同じ考え方で、圧倒的で無慈悲な身体的な暴力によるレイプこそが性加害であり、それ以外のケースでは力のある加害者の加害はなぜか透明化され、性加害されて「けがれた」被害者こそを「貞操を失い、社会規範から逸脱した者」として排除しようとする古いジェンダーに基づく。

抗議の声をあげた性被害者たちが苛烈な誹謗中傷に晒されていることからも、性加害をする男性に一方的に都合の良い価値観は、この国の社会においてまだまだ根強い。

この偏見に満ちた考え方が、被害者を何重にも苦しめる。

 

 

【男性の「性欲」とは本能なのか?】

そもそも繰り返し性加害をする男性は「性欲」に突き動かされているのであり、性行動は本能だからいかんともしがたいという考え方は、本当なのだろうか?

江戸時代以前の日本では、乳房は性的対象ではなかった。夏などは女性も上半身裸で平気で街を歩いていた。

一説では、1913年、松井須磨子が「サロメ」を演じた時に胸を隠したことを機に、乳房が性的対象と認識されるようになっていったと言われている。

巨乳だの、胸の谷間だのに興奮を覚えるようになったのは、たかだか100年くらいのことにすぎない。

つまり何をエロく感じるか、何に性欲を覚えるかは、その時々の社会概念に過ぎない。性犯罪が本能的な性衝動のために起きるという考え方は、加害男性にとって都合のいい解釈。

臨床現場で、実際の性犯罪加害者の話を聞くと、むしろ本能や衝動とは程遠い。多くの性加害者は、周到な準備や計画性、用心深さを持つ。

 

【性犯罪者の世界観】

性犯罪は一時の衝動ではなく、周到な計画性に支えられた成功体験の積み重ねによって強化されていく。

性犯罪者には性衝動があるのではなくて、「その欲望が満たされれば、どうしようもない虚しい日常がリセットされ、全てが解決する」という世界観がある。

今生きる世界から離脱したい。飲めば全てが解決するという飲酒への考え方にも似ている。

だから、多くの性犯罪者において、欲望を達してその先どうなるのか、失敗したらどんなリスクがあるのかというところまで考えが及ばない。

性加害行為の実現がゴール。そこで思考が途切れている。

 

なんとしてでも性加害を達成したいという異様な集中の感覚は、いつも駆動しているわけではなくて、人それぞれ特定のトリガーがある。

性犯罪の再犯予防は、本人がトリガーが何かを知り、そこから自分を遠ざけることが第一歩。

そして、自分自身が性衝動やストレス発散のために性犯罪を行なったという誤った自己正当化から脱却しなければならない。