こういうしみじみとした美しい余韻を残すラブストーリーを最近ではほとんど見なくなった。
丁寧に丁寧に人物の心情を描き、日常の中にあるさりげない美や優しさにそっとフォーカスし、全編にわたって気持ちの良い光が降り注ぎ、風が吹き抜けている。
人は、人生のその時々を、その人なりにベストを尽くして生きていく中で、木の葉の葉脈のように、幾つもの分かれ道をその都度辿って進んでいく。
些細な選択でも、後戻りはきかないから、人と人との関係は、ほんの小さな猶予期間だったはずが、気がつくともう取り戻せないくらいに遠く隔たってしまうこともある。
さして重要と思わぬ気軽な出会いのはずが、一生を共に歩く相手になることもある。
はかりしれない偶然性の中を誰もが生きている。
誰もが心に何かしらのせつなさを抱えながら。
韓国語で「縁」を意味するイミョンという言葉が要所要所で出てくる。
自力で人生を切り開いていると、人生は自分の選択の結果だと、人は思うものだけど、人間が自分の思うようにできることは、実はそれほど多くはなくて。
それはせつなくも、優しく心地良いことだ。
言葉が少ないことも、実に良かった。
ノラとヘソンが、ただ笑顔で互いを見つめ合いながら、何も言葉を交わさないで一緒にいるさまのなんともいえない可愛らしさ。
言葉よりもずっと饒舌で、どきどきした。
また、今、多くの映画が、社会問題や何かしらのポリコレ的課題を背景に語られていて、そういうもの抜きには映画を見られなくなっているが、そういう要素を注意深く排して、あくまで市井をささやかに生きる個人だけに焦点を絞って描いたことも、とても功を奏していたと思う。
「現代の問題」を通して物語が語られることに、自分はいささかうんざりしていたのだなあと気付かされた。
映画が終わった後も、温かいものが胸の内からじわじわと満たされ続けるような優しい感覚をしばし味わった。
ああいい映画を見たなあ、ありがとう、という気持ち。
人生は生きるに値すると思わせてくれる映画って、ほんとうに宝物だ。