みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

「帰ってきたヒトラー」

 

2015年ドイツ/原題:Er ist wieder da/監督:デヴィッド・ベンド/116分

末っ子に続いて、夫氏も寝込んでしまった。私の予定は全キャンセル。

1/30から2/12まで、YouTubeで全編無料公開されているので、合間に見た。

軽いコメディタッチがベースの作品で、するっと見られる。

 

このところの政治報道は、日本もアメリカも、シュールの域に達していて、もう私はキャパオーバー。

個々の事象についてよりは、「人間とは」を考えるみたいな方向に振れている。

 

この作品については、ラストシーンのヒトラーの言葉に全てが集約されているから、それを置いておく。

1933年当時、大衆は私に扇動されたわけではない。

彼らは計画を明示した者を指導者に選んだ。

私を選んだのだ。

 

怪物?

私が?

なら怪物を選んだ者を責めるんだな。

選んだ者たちは、普通の人間だ。

優れた人物を選んで、国の命運を託したのさ。

 

なぜ人々が私に従うか、考えたことはあるか?

彼らの本質は、私と同じだ。

価値観も同じ。

 

私からは逃れられん。

私は、人々の一部なのだ。

 

そこには良いこともあった。

現代にタイムスリップしたヒトラーは、キャラの立ったTVタレントとして大衆の前にあらわれ、公共の電波を通して自信と確信をもって率直に語り、どんな論戦にも堂々と対峙し、市井の人びとの話には耳を傾け、にこやかに応え、彼らを励ました。

ヒトラーは時空を超えて尊大なままで、差別的な思想や暴力性を特に隠しもしなかったけれど、人々はそれを「コミカルなキャラクター」と捉えて、見たいものしか見なかったし、ヒトラーもとくに聞かれなければ黙っていた。

彼は、常に自分のままで正直に人々に語りかけていただけで、嘘をついて騙したわけではなかった。

ほとんどの人々は、「明確な答えをくれ、自分を肯定してくれる者」にどんどん魅了され、なびいていった。

 

アニメで出てくるような分かりやすい、醜悪な大悪人なんて、現実には存在しない。

危険な思想を持つ者がすごく好感が持てて、共感できる要素も一方であるのは、ごく普通のことだ。

ヒトラーは、「良いこと」もしたし、チャーミングな、可愛げのある人物だった。

でも同時に彼は、一つの民族を皆殺しにするべきだと確信して、それを実際にやった。

 

誰かが設定したゲームのルールに参加して、そこでの是非を考え悩んでいる時点で、罠にはまったようなものだ。

 

「自分自身の基準」をいかに持つか。

人としての尊厳を手放さないというコアを持ちながら、同時にいかに自分を疑い、学び、検証し続けるか。

民主主義とは、市民一人ひとりがそのめんどくさい作業を引き受けることと引き換えに得られるものだから、どんな理由であれ、その作業を大多数が放棄してしまった時、それは独裁者に命運を委ねることを引き受けることを意味する。

 

今、世界のいろんな国で、答え合わせのように起こっていること。