みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

本番当日

気もそぞろで、夜半に目が覚めて寝付けなくなってしまった。

今日の午後、娘氏が撮影、編集したドキュメンタリー作品の上映会がある。

でも、朝5時の時点でまだ完成はしていない。

オーノー。

とりあえず温かいはちみつ紅茶と、ミルクキャンディーを差し入れて、がんばれと言って扉を閉めた。

 

この2ヶ月以上、娘氏はバイト以外はほとんど誰にも会わず、正月の集まりにも行かず、私たち家族ともすれ違いの生活。

いつ起きていつ寝てるのか分からないような状況の中で、ずーーっと自室にこもってひたすら映像編集をしていた。

時折、顔色悪くぼさぼさの髪で台所へ降りて来て、後悔や反省めいたことを口にしたり、そもそもの疑問みたいな、今そんなこと言ってる段階じゃないでしょ的なことをとうとうと語り出したりして、心許ないことこの上ない。

映像制作を生業とする夫氏の助けを借りるように勧めても、ここ数年、表向き和やかに接してはいるが、父親に対して内心強い怒りと反発を抱えている娘氏は、「全部が分からなすぎて何を訊けばいいかもわかんないし、だいたい、夫氏の存在は自分の助けにはならない」と言って頑なに拒否をする。

本番の日はどんどん迫ってきて、さすがに心配で、今何がどうなってんの、大丈夫なのと尋ねると、途端に仏頂面になってもぐもぐ何かつぶやきながら去ってしまう。

まじで厳しいなら、主宰の方に正直に状況を話した方がいい、たくさんの人が関わっていることなんだから、と言うも、聞こえているのかいないのかという感じ。

私が代わりに連絡しようか、と言うと、自分からするからやめてと言われ。

でも、結局スマホの電源は落としたまんまだったことが後で分かった。

 

結局、一昨日の夜になって、初めて夫氏が編集途中の映像を見ることになった。

粗繋ぎの未完成状態だったことを聞かされ、やっぱりか・・・と震え上がる。

もう手遅れのタイミングだと天を仰いだけれど、夫氏がとりあえず主宰者に状況を報告した方がいいと思うと言うので、昨朝一番で私からメッセージをした。

すぐさま返信があり、でも少しも慌てふためくことなくさすがの対応であった。

これから仕事に入るので、何かあれば連絡取り合いましょう、と言い合って1日が過ぎた。

 

夕方、前日の蟹鍋の出汁を使っておでんをこしらえていると、ドアのチャイムが鳴り、宅急便かなと扉を開けると、主宰の方が立っていた。

突然のことにびっくりしつつも、そりゃまそうだと申し訳ない思いで中に入っていただく。

ちょうどかたわらに休憩中の娘氏がいて、一瞬恐縮しつつも、もう精神状態が相当変になっているので、なんか超然とした状態で、自室からノートPCをしずしずと持ってきて、編集中の映像を私も含めて3人並んで見た。

 

そしたら、確かに作り込みは足りないのだけど、昨夕時点で9割がた繋ぎ終わっており、少し胸を撫で下ろした。

何より撮影がとても美しかったこと、アイデアの豊富さや切り取り方、編集の感覚に驚き、そして被写体に対する眼差しがひしひしと伝わってくることに、心動かされずにはおれなかった。

彼女はこの2年あまり、SNSで繋がったコスプレイヤーの友人たちの撮影をしまくってきた。

あたかも千本ノックみたいな過剰さで、その都度、膨大なレタッチもこなしながら。

それらは仕事ではなかったけれど、相手がある撮り直しのきかない、千差万別の現場であり、毎回多くの学びがあったことは間違いがなかった。

彼女はその日々の中で相当鍛えられてきたのだと改めて感じた。

親のひいき目もきっとあると思うけれど、私もたくさん映像を見てきたので、彼女が初作品にしてすでにオリジナルな自分のカラーをもっていて、一定のクオリティーに達していることくらいは分かった。

 

夫氏は一昨日、中途半端な状態だと、とても心配な状態だと言った。

彼は映像を生業にしているから、プロはクライアントに求められたものを、期日につつがなく納品するということが基本のきだから、当然そういう言い方になると思う。

(それでも映像の美しさに関しては褒めていたが。)

娘氏は、ほぼ小学校しか行っていない。

中高の学校生活というのは、常に期日というものがあり、それに向かって見通しを立てて準備をして、何かしらの提出物を出したり、テストなどに臨む、の繰り返しの日々だ。

つまり、彼女は間に合うように何かをしていくという経験が、中学高校に通っている人に比べて圧倒的に少ないままでここまできている。

そのことがすごく可視化された今回のことだった。

 

それは確かに本当に課題なんだけれど、今も2階の部屋でこの期に及んでまだ編集しているなんて、まじでありえないことなんだけれども、それでも私はふつふつと嬉しかったし、誇らしかった。

昨夕、映像を見ていた主宰の方の目の輝きが全てだと思った。

だんだん被写体たちの顔が変わっていく過程、化粧っ気のない彼女らの凛とした美しさのあらわれた画の強さ、インタビューでの胸を打つ吐露。

それが詩的でありながら思いが伝わってくる美しい映像であったことが、何より大切なことなのではないかと思った。

 

ついさっき、なんとか最後まで繋ぎ終わった・・・!これからひとっ風呂浴びて出られる準備をしてからぎりぎりまで編集したいから、会場まで車で送ってくれましぇんか・・・とよれよれのていで娘氏が言いにきた。

よしきた、風呂は30分で済ませな、と請け負った。

はなからそのつもりでルート検索も済ませている。

 

泣いても笑っても、9時10分にゲームオーバーだ。

通しで見直すこともできないままで上映するなんて、まあ中途半端極まりないことだ。

見直すたびに直しや間違いがどこまでも湧いて出てくるのが映像作品というものだから。

しかし、彼女の作品が、テクニック的には稚拙でも、見る人の心を動かすものになっていることは現時点で確信しているので、どこか安心している。

あとはあの素晴らしいインタビュー映像たちをできるだけ差し挟む時間があって欲しい。見られないのはあまりにもったいない話たちだったから。

残り3時間のタイムアタック

娘氏よ、最善を尽くせ、成長せよ。

そして今日の午後には一人の観客として大いに作品を楽しみたい。