みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

「エディントンへようこそ」

 

2025年アメリカ/原題:Eddington/監督:アリ・アスター/148分/2025年12月12日〜日本公開

2025年を締めくくるのは、アリ・アスターの新作。

万人受けする作家ではないのだろうけれど、やっぱりアリ・アスターは私には感覚的にすごくしっくりくる。

彼の描く人間に納得性を感じる。

基本怖がりなので、ホラーでないのも助かった。

「ミッドサマー」や「へレディタリー」は怖すぎてそうそう見返す気持ちにはなれんもんなあ。

 

アリ・アスターの作品って、見る人を不安な気持ちにさせるとか、嫌がらせみたいとかよく言われる。

確かに「ボーは恐れている」に続いて今回も、ホアキン・フェニックスはサンドバックであった。

でも、私にとってはアリ・アスターの作品はリアリズムでしかないし、彼は上にばかがつくほど素直に、公平に世界を見ている人だと思う。

彼の作品がシニカルでグロテスクなのだとしたら、それは現実のある側面が実際にシニカルでグロテスクであるからに他ならない。

そもそも、「本当のこと」を言う者を、人は嫌うものだ。

人間世界は「そういうことにしておく」という暗黙の了解で埋め尽くされている場所だから、人々に深く内面化された人間世界のルールを揺るがして人々に気まずい思いをさせたり、不安にさせたりする者は、憎まれ排除されることになる。

アリ・アスターは、あえて「言わない約束にしていること」を、独特のユーモアの感覚にのせて映像にして見せてくれる。

 

また、本作はコロナ禍という舞台設定も相まって、よりストレートに今の世界の空気感をぎゅっと凝縮するようにして見せてくれてもいた。

インターネットによって、人がそれぞれかけ離れたまるで別次元の現実を生きるようになっていて、孤独で、互いを排除しあっている世界。

荒唐無稽な嘘が人々の暮らしに浸食し、あちこちで対立が煽られ、ヘイトや集団ヒステリーが頻繁に勃発し、だんだんもう訳が分からなくなって、カオスになって、人々が思考停止に追い込まれている世界。

しかし、どれほど悩みあがこうが、食物連鎖のように、あらゆるものがより強く大きい存在によって貪欲に消費されていく。

結局、立ち向かいようもないくらいに巨大で顔のない圧倒的な権力の前に、私たちの生の何もかもが吸い上げられ、利活用されていく。

我々は逃がれ難くそういう世界に生きているという、無力感と虚しみと閉塞感を伴った感覚が、なんとも「今」であった。

 

人間世界のありのままを直視し、それを寓話の形にして差し出したい。

そんな彼の作品に、私はいつだって救われているし、彼の表現に自虐を含んだ痛快さを感じている。

 

すごくて尊い人間と、すごくなくてつまらない人間がいるみたいなことは、錯覚でしかなくて。

人は、一見すごく違うように見えて実は大差なく、誰もが弱く、ずるくて、ファニーで、偏ってて、粗暴で、かわいいし、とても哀れなものだ。

人は誰でも、基本的にはその人なりに正しく、善くあろうとしているものだと思う。

けれど、そうあれないような個人的状況や、社会状況がある。

あるいは、なにかしらのアクシデントや出来事があって、自分にリスクが及ぶような状況が生じることがある。

そうした場合に、人ってわりと簡単に裏切ったり、嘘をついたり、保身のために人を陥れたりしてしまう、その程度のものだ。

いい人とは、「その人がいい人でいられるような条件下にある人」ということである。

 

すごく高尚で正しいことを考えているように見えても、実は別に深い考えなどなく集団の中で流されているだけだったり、正義という名のもとに行使される暴力を楽しんでいるだけの場合さえある。しかも無自覚に。

大きな主語で語られることは、しばしば個人のことである。

大きな主語で語る人は、しばしば退屈している人である。

大義に夢中になり、目の前にある当たり前の暮らしや近しい人間関係をないがしろにしてしまう。

自分の思う大義が、相手にとっても幸せなことだと思って、相手の意思を尊重せず、自分の欲望のままに突き進む。

あるいは、偏っていようがなんだろうが、自分が信じたいものを盲信することで幸せになろうとする人がいる。

それって、全然スクリーンの中の特別な人の話じゃなく、自分を含めて目の前にごろごろいる、普通の人間たちの姿である。

 

特別な大事件などなくとも、一人の人間は日常の中で、いかようにも変容する。

親切にも不親切にも、善良にも残酷にも、慎重にも衝動的にもなる。

しかも、ほんの些細なきっかけや、感情を揺さぶる何らかの入力によって。

人はそれぞれ何かを大真面目に信じ、その世界線に巻き込まれ、人生をまるごと捧げてしまうこともある。

しかも他人から見ると、それは笑っちゃうほどうさんくさくて荒唐無稽なものだったりする。

人それぞれの宗教性。

 

アリ・アスターの映画には、超人的なヒーローやヴィランは登場しない。

それでも十分どびっくりだし、怖いし、笑ける。

一番訳が分からなくて、怖くて、可笑しいのは人間だから。

人は誰しも、普段その人なりに頑張って均衡を保っているが、一旦何かがあってそれが崩れれば、ひどく不確かで、意味不明な暴走をしたりもする。

人も、この世界も、一皮剥けば狂気じみている。

とりわけ今の時代は、ほんとうにそうだと感じる。

人間世界に内包された狂気を、誇張し拡大する映画。

その眼差しは哀れみを含み、同時に彼は人間をどこかかわいらしく描く。

そんなアリ・アスターの映画が好きだ。