
2025年に見た中で、最も好きな作品のひとつになった。
人間の業と人間の複雑さに迫っていて、あらゆる箇所にサインが散りばめられて、緻密で洗練されている。
夢中で引き込まれて見た。
こういう人間ドラマを見るために、私は映画を見ているって思う。
「君の名前で僕を呼んで」が、個人的にもうひとつぴんとこなかったので、ルカ・グァダニーノの作品をフォローしてこなかったのだが、これから遡って見られるものは全部見ようと思う!
あまりに好み。
オープニング/エンドクレジットが、黒地の中央に白抜きのWindsorフォントという、ウディ・アレン映画のトレードマークともいえるスタイルそのまま。
冒頭で、明白にオマージュであることを伝える。
果たして、これはある意味、現代版の「重罪と軽罪」であった。
室内の撮影はカルロ・ディ・パルマを思わせたし(「重罪と軽罪」の撮影監督は、スヴェン・ニクヴィスト)、ここぞというところで大仰なクラシック音楽がパンチライン的に使われたりするところなども「重罪と軽罪」を思わせた。
ウディ・アレンが、アメリカ映画界からキャンセルされてしまったことは本当に残念な出来事だったけれど、彼の1980年代後半から10年間くらいのマスターピースたちのような、いかにもインテリ的で、同時に生々しくて、ああ映画を見たというずっしりとした手応えを残す作品に思いがけなく出会えて、ちょっと感激であった。
興味深い論点がいくつもあって、自分の中のいろんな部分を刺激されまくって頭が興奮してしまい、もう一度見るまでは、多分考えがまとまらない。
だから内容についてどうだったとか書くことができない。
ただただ、この作品の描く人間たちの誰もに真実味を感じ、アルマの苦しみを近しく感じた。
人としてどうありたいかということを、改めて深く考えさせられた。
シンプルなカタルシスを感じられるものや、アトラクションのようなエキサイティングな感覚を求める映画が好まれることはよく分かる。
けれど、やはり映画という表現形式の大きな美点のひとつとは、複雑なことを複雑なまま、非言語的で圧倒的な説得力をもって伝えることができるということだと思う。