冷たい雨が降る週末。
短かった秋は雨と共に去り、一気に冬の装備で過ごす日々になりそう。
きっと、気がついたら年末年始なんだろうな。
私は相変わらず低め安定で、基本はずっとどこかもの悲しくて虚しい、生きるってさみしいことだなあと思いながらのぼっち主婦暮らし。
ずっとぼんやりしているので、粗相のないよう一個一個のタスクにはなるべく時間をかけて向き合い、体力的に無理をせず、自分を雑に後回しにせぬよう心がけつつ、こぢんまりと静かに過ごしている。
そんな中でも、やるべきことはやれているし、喘息だが寝込むほどではなく、あちこち筋肉痛だが元気に農作業できているし、先週は星野源のツアー最終公演にも無事行くことが出来たー。
完璧主義の源さんらしく、本当に素晴らしい特別な時間だったけれど、目に見えて疲労困憊していて、人間世界に疲れ切っていることも伝わってきたし、「この6年、いろんなことがあって本当にうんざりでした。音楽を作っている時だけは楽しかったし、寂しくなかった」という率直な吐露には胸を衝かれた。
資本主義的には、誰よりも成功していると思われている人が、1人で音楽を作っているとき以外は楽しくなかったなんて、なんてことだろう。人の幸福ってなんなんだろう。
そのさまを客席からただ見下ろしている自分自身になんとも言えない居心地の悪さを感じ、彼の置かれている立場を想像して胸が痛んだ。
とにかく休んでほしい、家族で南の島とかでごろごろしたらいいんだよね、と友だちと口々言い合いながら帰った。
険悪だった娘氏と夫氏も、だいぶ元通りになってほっとしている。
私と娘氏、夫氏との最近の関係も、穏やかで協力的なものだ。
今月から、週末は末っ子の通いの療育クラスが始まって、素晴らしいプロの方に何人も育児に関わってもらい、心強いかぎりだし、私も毎週めっちゃ学んでる。
海の向こうの息子氏も元気にやっているようだし、実家の両親もそれこそ低め安定の様子。
一昨日父の誕生日だったので、妹と弟から家族の画像をもらって、それらをコラージュして額装したものをプレゼントしたら、とても喜んでくれた。
全員が集まる機会はないけど、子どもとそのパートナー、孫たち全員を集めたらまあまあ壮観であった。登場人物は総勢14名。
「50年前にあなたたちが結婚してからの歳月で、こんなに人間が増えました!」というメッセージカードを添えた。
これだけの人が自分たちから生まれて増えて、それぞれが立派に自分の人生を謳歌しているなんてすごいことやなあ、と父はしみじみ言っていた。
互いに「じゃあ、お元気で」と言い合って電話を切って少し寂しい気持ちになった。
次に14人がリアルに集まるのは、きっとあなたを見送る時だ。
その考えから目を逸らしながら、つとめて明るく喋っていた。
私なりにバランスを取りながら、晴耕雨読の暮らしをより楽しめるものになるよう、日々研究している、というかんじのこのところ。
若くていろんなことが難なくできていた時にはむしろ感じられなかった、自分がとても恵まれてるってこと、ありがたいなってことを、毎日ふとした折に感じて、人知れずじーんとしている。
自分の持っているものに気づくことができて、そのたびにじーんとできるということ。
そのことがたまらなく嬉しいし、切ないし、愛おしい。
もちろん、この世界は狂ってる。
自分の浅はかな行いに後悔したり、怒りや悲しみに囚われてしまうこともしょっちゅうだ。
疲れたり、痛かったりすると、すぐに余裕も失い、自己中心的で被害者的な意地悪な気持ちがぶわっとせり上がってくる。
それでも、スケールはめちゃくちゃ小さくも、昔よりは自分に恥ずかしくないようにやれていることを、時々心の中で指差し確認しては安堵する。
小さなことをばかにせず、人としてなるべく親切で善くあれるよう、気楽に努力を続けたい。