みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

夏もおしまい

昨日の朝、車の後にスーツケース2つを詰め込んで、余ったスペースに家族全員がぎゅうぎゅうに乗り込んで、駅まで息子氏を見送りに行った。

出発直前、お隣さんの奥さんが慌ててつっかけ姿で出てきて、リボンをかけた歯ブラシセットを息子氏に手渡して見送ってくれた。

お隣さんは歯医者さんで、以前フランスの歯ブラシはヘッドがすごく大きくて使いづらいのだって、と私が雑談で話していたのをずっと覚えていてくれたのだ。

細やかな気遣いのできるお隣さんらしい。

幼い時から気にかけて、成長を一緒に見守ってくれたんだよなと思うと、心があったかくなる。

 

行きの車の中、なんてことない話とも言えない話をしているだけなんだけど、みんなの声が混じりあうさまを嬉しく聞いていた。

あと数分でこのパーティもとうとうおしまいと思うと、なんだか惜しくて、こっそりスマホで声を録音した。

駅で、互いにちょっと照れくさそうに別れのあいさつをして、見えなくなるまで手を振って見送ってから、また車に乗って帰ってきた。

 

玄関で靴を脱いだ時、これで今年の夏が終わったな、と思った。

ちょうど台風が通り過ぎて、朝晩がぐっと涼しくなったタイミング。

まだ日中の日差しは厳しいけど、心は秋モードに入っている。

 

息子氏は、日本には1ヶ月余り滞在していたけれど、ずっと外出しどおしで、うち半月は女の子と東北と北海道旅行に行っていた。

小・中・高校それぞれの友だちに会い、仲間と音楽セッションをし、SNSでつながっているプロミュージシャンに連絡を取って、スタジオにレコーディング見学に行かせてもらったりもしていた。

合間に、1ヶ月だけ住民票を戻して健康保険を復活させて、複数の病院に行って身体のメンテナンスや各種検査をまとめて受けていた。

だらしなくてしっちゃかめっちゃかで、いつまでたっても子どもっぽいという、これまでのイメージのままで接していたけれど、こうして帰省中の息子氏の日々を書くといかにも充実しているし、ちゃっかりやるべきことをやって帰っていったのだなあと思う。

私の認識がアップデートできていなかったということなんだろう。

 

そんなだから、実家で息子氏とゆっくり一緒に過ごした時間はほとんどなかった。

終始予定がぎゅうぎゅうでろくに家に帰って来ないことに、私は結構さびしい思いにさせられた。

親はお金の面であてにされるばっかりで、一緒に過ごしたいのは女の子や友だちなんだということ、若い頃の自分を思い返せば、同じかもっと酷かったように思う。

だから、文句なぞ言える筋合いではないのだ。

それよりも、子育てが無事いっちょあがり、もう別の世界を彼なりに楽しく生きて成立しているんだということを、親として喜ぶべきなんだろう。

 

息子氏は、色々凸凹があるし、やぶれかぶれなところも多々あるけれど、優しく素敵な奴だし、これからもまあ何とかやっていくんだろうよ、と思う。

なにより、子供の頃からよく周囲に言われていることだけど、彼は強運の持ち主だ。

どうしても欲しいものがあったら空からお金が降ってくるような、必要な人を偶然紹介してくれる人に恵まれるような、そういう運を持っている。

それは、彼がいつも比較じゃない人生で、自分にとっての目の前の「今」を直観と生理的な感覚に従って生きているゆえのように思う。

その時は、なんて無駄な遠回りばっかりしてるんだろう、と周囲をやきもきさせるのだが、結局誰よりも自分の好きなようにやりたいようにやっている。

娘氏は、自分にないものを息子氏がいっぱい持っていることをいつもうらやましいと言いながら、近くにいると「あんたさー、だいたいさー」というトーンで接してしまうとため息をついていた。

分かる、分かるよー、それが息子氏だから。

それでなくとも、私にとって初めて産んだ子供である彼に対しては、どうも自他境界が曖昧になって立ち入り過ぎる傾向がある。

とりわけ育てるのに苦労したということに対する自分への甘えのような気持ちもありそうだ。

それは驕りだし、彼にとってはいい迷惑だろうと思う。

これからも仲間であることは変わらない。

でも、よりしっかり一線を引いて、けじめとリスペクトをもって接していこうと思う。

 

何はともあれお疲れさーん私。

今日はこれからひとり温泉へ行ってくる。

身体を緩めて、緑の中で読みたい本をゆっくり読んで静かに過ごす。