みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

パンの耳

パン屋さんで食パンをスライスしてもらう時は、私は必ず「端(パンの耳の部分)は薄く切って入れてください」とお願いする。

薄くスライスされたパン耳をこんがりと焼いてバターをつけたのをがりがりと食べるのが、なんなら本体より好きである。

たまに食パンの切れ端だけを集めて30円とかで売っている時は絶対に買うし、「ご自由にお持ちください」なんて書いてあった日には確実に幸福度が高まる。

 

夫氏はいちいちそういうオーダーはせず、シンプルに「6枚切りで」と言うので、彼が買った食パンは、6枚目が耳付きの少々分厚いスライスになる。

今朝もそんな分厚くて片側が硬いトーストを食べながら、薄いのをかりっと焼いたやつが好きなんだよね、と説明する。

そんなに好きなら、夫氏がパンを買う時にもパン耳を薄く切ってもらうようにお願いすればいいんだろうけど、他の食材も含めてあんまり細かい注文をすることができない。

普段、一応食の安全性の基準に則っていろんな食材をそれなりに考えて買っている。

主婦目線のチェックポイントをいちいち伝え出すとキリがない。あまりに小うるさいだろうと気が引ける。

 

夫氏が「どうしてパン耳がそんなにも好きなの、パン耳に良いイメージでもあるの」と訊く。

どうして、って、と一瞬言葉に詰まるが、確かに味や食感が好きっていう以上に、わたしパン耳ってものに良い印象を持っているかも・・と思うと同時に小さな記憶が蘇ってきた。

 

転校の多かった子ども時代、小学校1年生から4年生の夏まで暮らした東京近郊の町は、都会と田舎が入り混じった面白いところだった。

林明子さんの絵本「森のかくれんぼう」の世界にちょっと似た感じで、真新しい住宅街のすぐ裏に鬱蒼とした森や廃墟になった洋館とかがあった。

放課後や休日に、子供だけで日常からちょっと外れた危ないようなこと、冒険めいたことをいろいろしていたなと思う。

昔は学童なんかもなく、親も社会もおおらかで、放課後の子どもたちは習い事もせずに結構自由に過ごしていた。

今よりも隙間みたいなものがたくさんあった気がする。

 

通学路からちょっと外れた場所に、小さなパン屋さんがあった。

お店の名前がどうしても思い出せない。

痩せて口髭を生やした面白いおじさんがせっせとパンを作っていた。

記憶の中のおじさんは、スティーブ・ブシェミにちょっと似ている。

猫背でひょろっとしていてぎょろっと大きな目、ひねくれたユーモアを感じる、いささか屈託のある人だった。

分かりやすく可愛がってくれるようなタイプではなかったけれど、迷惑がるようなそぶりは全然なくて、いい意味でどうでも良いって感じであった。

何かと正しいことを言って説教や注意をしてきそうな一般的な大人とは違うムードを醸していたおじさんが、私は妙に好きだった。

そしてその店は、なぜか(当時の私からすると)見上げるほどのっぽの外国人のお兄さんたちが何人も出入りしていた。

厨房はいつも賑やかで、普段の私の環境とは全然違う、自由で活発な空気が横溢していた。

後にどんな経緯で知ったかももう忘れてしまったけれど、その人たちは「モルモン教徒」の人たちであるということだった。

当時の小学校低学年の子供にとっては、外国人は全員「アメリカ人」で、すごく背が高い、面白いことを言ってくる親切なお兄さんでしかなかった。

今なら衛生管理的にだめだろうと思うんだけど、当時は誰でも普段着のまま厨房に出たり入ったりしていて、学校帰りの小学生だった私も、ランドセルを背負ったまましょっちゅう厨房にずかずかと入っていった。

その物珍しく楽しいムードの場所に引き寄せられていたからだろうし、パンの耳というお目当てがあったからだった。

 

中心に生地をこねるための羽のついた、鉛色の大きな業務用ミキサーの中には、クリームパンの中に入れるためのカスタードクリームがいつもたっぷり作ってあった。

私が遊びに行くと、いつでもサンドイッチを作る時に出た細長いパンの耳を持ってきて、ミキサーのへりに付いたクリームをたっぷりつけて手渡してくれた。

まだ生温かいカスタードクリームのついた柔らかいパン耳は、それはそれは美味しかった。

パン耳を食べながらみんなでわいわいしている時、のっぽのお兄さんが天井から吊るされた電球に鼻をつけて見せたことまで芋づる式に脳裏によみがえった。

この世にこんなに背が高い人がいるなんて、と私はすごくびっくりした。

 

でも、それ以上のことは思い出せない。

4年生の時に転校することになったけれど、特におじさんに別れを伝えに行ったような記憶もない。誰かと連れ立って行っていたのかどうかも思い出せない。

あのお店はまだあの場所にあるんだろうか?おじさんはもう死んじゃったんだろうか。

いつか訪れてみたい。

ルノワール」のフキちゃんみたいに、その日その日をただ無心に生きていた頃の記憶の断片。

 

ああ、あの厨房に立ったまま頬張るカスタードクリームのついたパン耳を、またいつか食べたいなあ。

でも、あの時のメンバー、あの時の自分、あの時の空気感も含めてのパン耳であるから、今の私が家で作ってみてもだめなんだろうなー。

私のパン耳に対する思い入れが意外にも年期の入ったものなんだと知って、なんだか面白かった。