3年ぶりに息子氏が帰国しているタイミングに合わせて、真夏の母子帰省をしてきた。
数日の滞在と長時間の移動で、身体はガチガチにこわばっていた。
家に帰ってすぐに熱いお風呂に浸かって体を温め、マッサージシートを1時間ごりごりやって背中を揉みほぐすと、好転反応みたいにぐったりしてきて、それからまる一日寝込んだ。
何も口にせず、12時間も気絶するみたいに寝た。
これまでは年に1回程度だったのが、叔母が亡くなったり、両親の老いにまつわるあれこれで、今年は単身帰省も含めてもう3回実家に帰っている。
やっぱりいろんな意味で無理があることなんだと実感した。
今更関係性を変えようなんて考えの浅い付け焼き刃だったなあと思う。
第一、できるんならとうの昔にやっている。
両親に対しては、これまで積み上げてきたなりの関係を、痛みも含めて引き受けていくのが自然なことなのかな、と思っている。
これからは、いたずらに距離は縮めぬよう注意していこうと思う。
家族に限らずあらゆる人との関係において、互いに愛情や愛着があったとしても、必要以上に近づくと傷つけ合ってしまう関係はある。
家族であることや同じ環境にあることは、少なくとも子どもの側にとっては、個人の選択ではない「たまたま与えられた」ものでしかない。
長く関わる中で、慣れ親しみ、愛着が生まれることは往々にしてあると思うし、血縁関係は切っても切り離せない側面も持つけれど、血の繋がりとお互いの相性には、本来、関連性はない。
ものごとに対する感性や価値観、大事にするもの愛でるもの、嫌うものやどうでもいいもの、優先順位、笑いのツボやモラルの感覚など、私と家族とではかなり違う。
そのことを尊重したりそっとしておいてくれるような親ではなかったからこそ、私は十代で早々と家を出て行ったのだ。
親と子は、あまりに身近であるゆえに、互いに相手を自立した個人として扱うことがえてして苦手だ。
だからこそ、違いを乗り越えるのが一番難しい存在なのかもしれないなと思う。
私自身、息子氏に勝手な期待や思い込みを無意識に押し付け、息子氏がその期待をきれいにスルーして気づきもしないことに対して、非難めいた態度を取ってしまうことが何度もあった。
他者が理解不能で自分の思うようにならないことなんて当たり前のことだし、自分が何かを言えた筋合いではないと思って、他人には節度をもって接することができても、子供に対しては途端に抑制が効きにくくなる。
あまりに自分が簡単に支配的で横暴になってしまうことに、自分でもびっくりして落ち込んだ。
語弊を恐れずに言えば、どちらかもしくは双方に執着や傲慢さを持った親子関係って諸刃の刃で、一種の暴力装置なんだと思う。
私自身が息子氏との関係に人知れず苦心している中での今回の帰省で、自分と両親の関係を捉え直すことになった。
今でも実家では、私の考えや行動や選択は、しばしば茶化されたり、ばかにされたり、頭ごなしに否定されたりする。
尋ねたことにあえて答えなかったり、皮肉や嫌味といった婉曲な態度によって「お前が私を不快にさせているのだ」と彼らは非言語的に伝えてくる。いつもとても疲れる。
いざ帰る段になると、急にこれまでの態度を後悔したかのように鷹揚な態度を見せ、惜しむようなことを言ってきたり、土産をあれこれ持たせたり、世話を焼こうとしてくるのも毎度のことだ。
こんな親子の関係性を、私は子ども達との間には決して再生産したくないな、と強く思ったことが動機となって、やっと本当に自分のスタンスを改めようと思うことができた。
親が私を不快に思うそれなりの理由があったにせよ、そのような陰湿なコミュニケーションは正当化されるようなものではないし、そのことに私は慣れたり、我慢して受け入れたりするべきではないのだ。
ようやく腹の底から認識できた。
これまでも頭では分かっていたけれど、頭で分かっていても腑に落ちない限り、なかなか変わらないものだといつも思う。
いくらAIが正しく気の利いた解答をくれたとしても、それだけでは「知ってる」ことにしかならない。
少なくとも私自身は、本当に分かるって、そんなにインスタントなものじゃないと思っている。
互いを切り捨てるということではなく、ただ適切に距離を取るということ。
一方的な期待や「自分と同じ」を押し付けようもないくらいの遠さと間合いで、いち個人として接することができたら、きっとどんな関係もそれほど横暴なことにはならないような気がする。
互いに如何ともしがたいものがあって、身近な人との関係は長い時間をかけて、結果としてそのようになっているものだと思う。
片方の力技でどうこうできるようなものではないし、相手にはいつだって去る権利がある。
とりわけ親は基本的に子供に献身的に尽くす存在だからこそ、離れづらい。
でも、何かをしてもらっているからといって、自分をみじめで間違った存在のように思わせてくる人のそばにいなければならない理由にはならない。
一緒にいることで、自分が自分であることが嫌になっていく相手とは、誰であれ、速やかに間合いを開けなくてはいけない。
それは、自分を守り、自分の人生を損なわないための何よりの基本だ。
人には誰にもその自由があるんだと、自分自身にもいま一度言い聞かせたいし、子どもたちにもちゃんと伝えたい。
あとは出来うる限り子どもにとって加害的な親にならぬよう、自分なりに精進するしかないな、という気持ち。