みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

飲み会

昨夜は職場の飲み会だった。

普段ごたごたしたりけんかしたりしているのに、仕事と病気で来られない2人を除いた全員がいそいそと参加してるのが可笑しかった。

20人以上の飲み会なんて参加したことあっただろうか。

あったとしても、思い出せないくらい昔のことだ。

 

本当はせっかくの機会だからいろんな人と言葉を交わすべきだったんだろうけれど、私はL字に並べられたテーブルの一番隅っこの奥に座って、基本は周辺の人と楽しく話をしつつ、全体を面白く眺めて過ごした。

ひとに嫌がられる性質だとは思いつつ、自分はつくづく観察好きだなあと思う。

飲み会に参加する、というよりは飲み会を見物に行く、という方が自分にはしっくりくる。

どんどんテーブルを動き回る如才ない人、誰か一人にロックオンして長時間話し込む人、リラックスしてのんびり楽しんでいる人、気を配って適切な場所に適切に移動する人、みんなのグラスの飲み物の減りを常に気にしてずっと中腰でオーダーを取り続けている人、真っ赤な顔で上機嫌でおちゃらけている人、好奇心いっぱいでどストレートな質問をぶつける人・・・。

人っておもしろくて見ていて飽きないなーー。

適度にアルコールでゆるんだ状態で、隅っこからほげーと眺めている。

 

ただ、昔からずっとそうなんだけど、集団の中でつらそうにしていたり、所在なげだったり、透明になってるような人がいたりすると、もうそこばっかり気になってしょうがなくなってしまう。

優しいとか思いやりがあるとかじゃなく、そういう存在は、かつてそうであった、あるいはたまたま今回はそうではなかった私自身でしかないからだ。

ちょっとでも人がそういう風になっているさまを見るのがしんどいし、勝手に傷つく。

その人に対しても失礼で的外れなこととは思いつつ、勝手につらくなることを止められない。

昨日も皆がわいわい大声で喋りあっている中で、ぽつんとなっちゃう人がいれば人知れずそわそわし、その人が楽しそうな感じになると人知れずほっとしていた。

やっぱり大人数になると、なんとなく取り残される人がどうしても出るが、大人数だと身動きが取れないので、遠くから一人はらはらしながら見守るみたいなことになる。

やっぱり私は大人数の集いやパーティ的なことはあんまり向かないみたいだ。

 

時間を30分オーバーして盛り上がり、皆で店の前で集合写真を撮って解散する。

なんで集合写真って実際よりもあんなに親密に見えるんだろうな。

わーい二次会だ二次会だー!と盛り上がる人々の輪から引き剥がすように同僚Iさんが私の腕を引っ張って、うちらだけでもう1杯飲んでこう、と言う。

で、少人数でしばし飲み直す。

この1時間くらいの時間が見物ではない飲み会であった。

農家の若い2代目Hさんとの話、目からうろこがぼろぼろ落ちるような時間で、うあーおもろ、来て良かったなあ、と思えるようないい会話だった。

一緒に働く中で賢い人だと分かってはいたが、よくよく話を聞くと、これはちょっと悪魔的なほどの賢さだなと感服した。

私も見るのが好きだけど、ただ見て言葉にならないかたまりをぼんやり感じているだけの自分と違って、Hさんは、良いものも悪いものもどんどん全部を肥やしにしていくみたいな感じだ。

ただ効率的だったりハック的に勝ち抜けようとするずるい感じじゃなくて、コアにある行動指針が「個人的な感動」なのがすごくいいなと思った。

 

間違うことも、失敗も無駄も、難しい人間関係も、全部次にやることを教えてくれる入力だと捉えている感じがある。

体力と気力と好奇心があるから、めんどくさってならないのだ。若いって素晴らしい。

Iさんは「こいつ人たらしだからね」と毒づくけど、Hさんのことが大好きなのは見ていて分かる。

彼は、周囲の皆をサポートし、それぞれの良さを伝えて、その人からオーバーアチーブを引き出すということをいろんな人に対して自然にやっている。

社員さんたちが真逆のことをやっているというのに〜〜。

 

「だって、脳みそいっぱいあった方がいいに決まってるじゃないですか」

彼は間違いなくいい経営者になるだろう。

 

いろんな話もどれも興味深く、あー人って面白いなあと思いながら、ふわふわした足取りで帰途に着いた。

仕事をしているといろんなことがある、昨日も仕事のことで傷つくことがあった。

労働者は、駒のように扱われることからどうしても逃れられないから、尊厳を削られるということが起こる。

そのたび悲しいなあと思う。

でも、仕事のおかげで出会えた人と温かい気持ちを交わすこともできる。

また腐らず地道にがんばろ。