鎌倉での対話会が無事終わり、今年の夏休みが始まったという気持ち。
対話会は、いろいろ反省点はあるものの、違う考え方の人たちが違うままに認め合って、リラックスして率直に自分の思いを口にすることができていたという一点において、とても嬉しい時間だった。
普段の会話では気を遣いあって無害な世間話に終始しがちだけれど、こういう設定をあえてすることで、ひとつ深い層にあるその人の魅力としか言いようのないものが立ち現れると感じる。
比べたり否定したりする気持ちは1ミリも起きず、ただ人間が愛おしいし好きだなあと思う。
今回珍しく私はわりに長く喋ったけど、本当は黙ってずっと皆が話すさまを見て聞いていたい。
でも今は、SNSなどで毎日たくさんの人とやり取りをしたり、何でもすぐにchatGPT聞くなどして、効率も生産性も高いような気分になっているけれど、実は深く考える時間はほとんど持てていない、ということがわりにあるのではないかなと思う。
目の前のやるべきことをさくさくと処理し、解決し続ける忙しい日々の中で、だんだんと自分の輪郭がぼやけ、存在が宙に浮いてくる。
膨張して宙に浮いた自分を、等身大に戻して地面に下ろすようなことを、人それぞれのやり方で暮らしに取り入れる必要があるのだろうと思うけれど、対話もその工夫の一つだと思う。
加えて、人と話すことは、他者が鏡になるという面白さもある。
また機会があればやれたらいいなと思う。


それにしても、毎日ぐったりするような蒸し暑さだ。
仕事とはいえ、こんな中でジャガイモを掘ったりしてるの正気の沙汰じゃなさすぎて笑けてくる。
まるで夏のハノイみたい。日本は年々熱帯化しているなあ。
夏のハノイでは、アスファルトに日光が照りつける日中は人はほとんど歩いておらず、みんな日陰に隠れている。
無理に歩くと、数メートル歩いては座り込んでしまうほどの激しい暑さだ。
夕方になって陽が傾くと、道端にだんだんと人が出てくる。
お気楽な旅人の私は、屋台のおんぼろのスツールに座って、通りを眺めながら氷入りのビールを飲んだり、チェーを食べたりしてうだうだと過ごしたものだった。
思い出すと、だらしなくもリラックスしたベトナムの夏の夕方が少し恋しくなっちゃうな。
今私が生きている場所はテキパキして忙しい日本だけど、夏はもう観念して、東南アジア的にだらけて過ごすことを自分に許していきたい。


