私の働く農園では、今週から本格的に枝豆の収穫が始まった。
通りすがりに軽トラ越しで見たとうもろこしもいい感じにふくらんでいる。近々出荷になるだろう。
きゅうり、なす、落花生、オクラの苗もすくすくと順調だ。
ああまた今年も怒涛の夏がやってくるのだな、という気持ち。
半月前の職場内の人間関係のゴタゴタは、心の中で尾を引いているものの、表面上は元どおりの日常が戻っている。
とにもかくにも農繁期だ。
そして、やっぱり野菜たちはかわいく、農作業は身体はしんどいけど楽しい。
ありがたいことに、私に親しみを感じて好意的に接してくれる何人かの同僚もいる。
結婚して以来、子育てと孤独で自由なフリーランスの時期が長かった私は、主要メンバーはずっと家族、話すといえば夫氏で、人との関わりの少ない人生だった。
だから、今の職場に雑多な面白い人たちがいて、その人たちがいろんな姿を見せてくれて、彼らが私のことを知っていてくれて、ちょっと何かを自分に期待してくれる、それだけで私は嬉しく、それ以上望むことはない。
友達でもなく個人的に親しくもないが、すっかり互いの存在に慣れて、他意なく笑顔で挨拶を交わせるという人がいるということは、幸福なことだなと思っている。
そんな私のスタンスがお気楽なものだってことは、もちろん自覚している。
生活をかけて、その人の人生の大半の時間を傾けて仕事をしている人にとっては、利益をあげることが至上命題だ。
それでも、「仕事ですから」をエクスキューズに人が人を粗雑に、暴力的に扱っても許されるという思い違いをしている人たちには、それは違うって言いたい。
だいいちそれは、利益や生産性にも悪影響を及ぼしているはず。
愚かなだけでなく、合理的ではない振る舞いだと思う。
今回のごたごたで、これまであまり関わらぬように間合いをあけていたある同僚について、どうして彼が彼のような人であるのかについて、改めて考えた。
なぜならその同僚、加害的なパーソナリティーを持つチームリーダーのO氏について、ある程度理解をした上で自分なりの方針を定めておかないと、この先安心して働けないと思ったからだった。
危機を感じた時ほど、そのことを考えることから逃げたい気持ちをちょっとぐっとこらえて、自分の感情をできるだけ感じ切り、自分の心の動きを観察し、納得いくまで思索する。
そうやって今抱えているネガティブな感情をなんとか溶かして次に進みたいと思う。
私はそれしか方法を知らない。
何か他のことで紛らわせたり、忘れたり散らしたりするようなことが、あまりうまくできない。
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(以下、ネガティブないじめの話が含まれるので、不快に思う方は読まないでください)
Oさんは、ほぼ私と同時期にバイトとして入社した40代の社員男性だ。
塗装工やガードマンなど、いろんな肉体労働の現場仕事をしてきた、体の大きい男性で、彼の軽トラの運転は、荒くてぶるんぶるんとうるさくて、暴走族みたいだといつも皆に笑われている。
最近バイトから社員になって、私の所属する部門のリーダーになった。
出会った頃は、とにかく気を遣う人、へりくだった物言いをする人という印象だった。
口ぐせは「いいですよ、俺がやっときます」。
誰にも命じられていないのに、誰よりも残業して長時間労働を進んで引き受けてきた。
昨年の夏は猛暑だったから、何度か熱中症で倒れていた。
点滴を受けた後、病院からその足で職場に戻ってきて、また働いていたこともあった。
みんなもちろんまじめに働いているのだけど、明らかに誰よりも多く無理をして職場に貢献しているOさんには引け目を感じざるを得なくて、「Oさんがいるからこの農園は回ってます」と「ほんとありがたいよね」といつも皆は彼を持ち上げた。
でも同時に、なぜあんなに無理をするのか、ノーと言わず全部自分でやっておきますと進んで言うのか、よく分からないとも言われていた。
私には、Oさんは無意識的に自分にとって安心できる環境を、自らを犠牲にして作っているように見えた。
誰より無理して頑張ることでようやく自分の価値を認められる、自己価値の低い人なのかもしれない、と。
私は、感謝よりはむしろ、誰かの無理な労働込みで成立する間違ったスタンダードを作るようなことをやめて欲しかった。
そして、進んで無理して余計に働く彼のしんどさや不公平感といった負の感情は、一体どうやって彼の中で処理されているのだろう、と思うと、すっと身体が冷える気がした。
農業は、やることを見つけようと思えば無限にあるけど、農園のオーナーは良くも悪くも個々の自主性を尊重し、強要することをしない人だ。
少なくとも誰かにむやみに圧をかけたりなんてしない。
でもだからこそ、不安が強いタイプの人にとっては、勝手に察して、進んで無理をするという行動につながりがちかもしれないとは思う。
やがて、新しく20代男性のバイトAさんが入ってきた。
作業はそれほど早くなかったが、一所懸命で力持ちだから、私はとてもありがたく思っていた。
そのうち、OさんはAさんがどんだけだめか、いかに迷惑しているかを、皆に言い広めるようになった。
何人かが確かにこういう部分がだめだと一緒になって欠点を指摘した。
彼の何がそこまでひどいのか、私にはよく分からなかった。
皆の話を聞いてみても、やはりそこまでとは思えなかった。
やがて、Aさんは「全く仕事ができない問題の多い人」としてOさんに目に見えて冷淡に扱われるようになった。
ある朝、遅刻したAさんは皆の前でOさんに怒鳴り散らされ、それをきっかけにどんどん来られなくなり、フェイドアウトするように辞めてしまった。
それからしばらく後、Oさんはもの覚えがあまり良くないという古株の女性アルバイトMさんがどんだけひどいか、雑談に交えて皆に言うようになった。
何人かが確かにこういう部分はだめだと一緒になって欠点を指摘した。
彼女の何がそこまでひどいのか、私にはよく分からなかった。
皆の話を聞いてみてもやはりそこまでとは思えなかった。
やがて、Mさんは「全く仕事ができない問題の多い人」としてOさんに目に見えて冷淡に扱われるようになった。
ある時、「就職が決まったから」と言って、Mさんもフェイドアウトするように辞めていった。
もしかして、と思っていたが、辞めたのはいずれもシフトのすれ違いが多く、会う機会が少ないスタッフだったこともあり、心を痛めながらもそれ以上考えることをしなかった。
そんなこと、進んで考えたくなんてなかった。
でも今思えば、辞めた二人とも、見えないところでOさんからいろんなひどいことを言われたりされたりしていたんだろうと思う。
Oさんは、悪意をぶつける特定の人以外には、いたって愛想よく自己犠牲的な振る舞いをするから、皆なかなか自分ごととしては捉えない。
普段の腰の低さと誰かを笑いながらあしざまに罵るOさんのギャップに私はドン引きだったので、今では職場の中心人物になりつつある彼の半径1m以内には極力近寄らないことで平和を保ってきた。
しかし今回、3人目のケースに遭遇することになってしまった。
いつも蚊帳の外にいた私は、今回は関係者のひとりという立ち位置になってしまったために、Oさんに仕事中に呼び止められて、1時間くらい一方的に話を聞かされた。
稚拙な印象操作を、私から都合の良い言質を取って利用しようとする聞き出しを、私はすっかり白けた気持ちで観察しながら眺めていた。
「俺はこの農園が良くなるためならどう思われてもいいんです」
と彼は繰り返した。
そして散々喋ってた後に「俺って悪口とか嫌いな人間なんで」と言ったので、さすがにずっこけそうになった。
Oさんは、おじさんの皮をかぶった弱い者いじめの小中学生みたいだった。
他人の事ながら情けなくなった。
彼は私と話した後にも、別の人にもいちいち時間を割いて話に行っていて、本当にドン引きだった。
これまでできるだけ関わらないように、あえて考えないようにしてきたけど、この職場にいじめの構造を進んで作っているのはこの人なんだと思った。
たった一人のこういう人と、それになんとなく同調する何人かの存在で、職場ってこんなに寒々しいことになってしまう。
あまりにも残念すぎる。
なんでこんなくだらないことを、この人は必死に繰り返しやっているんだろう。
たぶん、誰よりも気が弱くて、自分に自信がなく不安なのだろう。
そして、自分の内面に巣食う負の感情を捨てるゴミ箱扱いできる人を常に必要としているのだろう。
「自分は誰よりも貢献しているし、その人には落ち度があるから」その人は罰されたり排除されて当然だと彼はどうやら思っている。
身勝手な免罪符のもとに、自分の怒りやイライラを他者に暴力的にぶつけることを自分に許している。
そんなことには1ミリの正当性もない。
彼が勝手に作った基準で「劣っているために集団に迷惑をかける者」を追い込んで排除することを、正義の行使であり環境改善とみなすことも、独りよがりで暴力的なことだ。
彼が目指しているのか、そうせざるを得なくなっているのか知らないが、その寒々しく厳しすぎる世界観に、申し訳ないが私を巻き込まないでほしい。
以前、ふとしたきっかけでOさんの身の上話を聞いたことがあった。
彼の生い立ちは控えめに言ってもかなりハードなものだった。
周囲にいる大人たちの質が悪いために誰からも適切な助けや知識を得られず、幼い頃から責任を負って、理不尽と共に生きるしかなかった。
そのことを、彼は淡々となんでもないことのように静かに話した。
いつもは大げさな身振り手振りでおちゃらけて話すのに。
私は、かける言葉が見つからなくてただ黙って聞いた。
彼が生きてきたのは、貧困と暴力がとても身近な環境だった。
彼は、親を含む色んな人にこき使われ、搾取されてきた。
そういう中で、誰より無理をして長時間働く、けしてノーとは言わない、進んで皆の仕事を自分が請け負うといった、自分を限界まで酷使することで免罪されようとするかのような、彼の仕事への姿勢が固まっていったのかもしれない、とふと思う。
周囲からは、進んで大変な仕事をかって出ているようにしか受け取れない。
でも、Oさんはどこにもない無言の圧や無言の期待を勝手に感じて、それに必死に応えようとして、へとへとになっている。
そのことに、本当はOさんは、誰よりも納得がいっていないんじゃないかと思う。
なぜ、自分ばかりがそんな無理をさせられるのか。
なぜ、皆は自分にフリーライドして平然としているのか。
なぜ、自分はどこへ行ってもいつもこんな役回りなのか。
なぜ、人生とはこんなにつらいものなのか。
その悲しみを、その憎しみを、ぶっつけるための相手を、彼は常に、切実に、必要としている。
これからも、対象を次々と変えながら彼の加害は続くだろう。
彼自身が自分を癒し救わなければ、いつまでも気が済むということがないからだ。
誰よりも気が弱く自信がないような人だからこそ、誰より攻撃的になる。
弱く不安に怯える人だからこそ、弱く脆弱な者を鋭い嗅覚で見つけ、悪意という薪に火をくべる。
スケープゴートに悪いことを全部被せて、「誰々のせいでみんなが迷惑している」という空気を醸成する。
誰かに非難が集中している間は、自分もひととき安らかな気持ちになるのかもしれない。
日替わりで誰かを無視するような、小、中学校のクラス内のいじめの心理と全く同じ。
そんな形でしか安心ができないなんて、そんな形でしか自分の負の感情を処理できないなんて、なんて気の毒な人だろう、と思う。
Oさんを見ていると、世界や他者を信頼できず、対等に助け助けられる豊かでイーブンな関係性があるという前提自体があまりないのかなと感じる。
彼と話していると、あらゆる関係性を加害者と被害者、あるいは支配者と被支配者と捉えているのだと感じる。
生意気なことを言った子供(奥さんの連れ子)を殴って引きずった話をまるで冗談のように武勇伝のように話していたし、家族に対しても不機嫌で妻や子供たちを怯えさせるモラハラであることもおそらく間違いがないと思う。
養っている、ゆえに自分の怒りやイライラをぶつけることは許される、と思っているに違いないからだ。
モラハラ夫って、本人は誰よりも家族に尽くしている、犠牲になっているという主観で、実は誰よりも家族にとって加害的な存在になっている。
そんな病的な関係は、どこかで破綻するしかない。
家族に見捨てられる前にOさんが気付くことはあるのだろうか。
さて。
私が願うことは、これからも真面目に楽しく働き、平和な職場にしていく、ということだけ。
自分としては、彼の悪意は全スルーするというシンプルな方針でオッケーという結果。
ことの是非をまともに取り合うようなことじゃないから。
ただ、今後他の誰かに加害が及んだ時に、どうしてくれよう。
そのために、具体的に何ができるかを、仲間と相談しつつ考えていこうと思う。