
すっごくグロいと聞いていたのでちょっと怖気づいて迷っていたのだけど、ここ数日のくさくさする気分から逃げ出したくって、えいやっとひとりで観に行って来た。
普段ホラー映画を好んで見る方ではないけれど、ホラーは他のことが一切考えられなくなるくらい一点集中できるので、現実逃避にはうってつけのアイテムだと思う。
結果、視覚的なグロテスクさに対する耐性は私はわりと高めなんだな、ということが分かった。
気持ちの悪いものをこれでもかこれでもか、と見せてくる部分はあくまでディテールなので、うえっと思ったらちょっと目を逸らしてしまえば何とかなる。
そして、特殊メイクや気色の悪いクリーチャーみたいなものって、人間の想像力の限界みたいなものをどうしても感じてしまって、ちょっと面白くなってしまうというか、さほど怖く思えない。
怪物とか宇宙人とかゾンビには、いつもちょっと笑っちゃう。
なんといっても一番怖いのは、人間だ。
確かにグロかったが、爽快な作品だった。
思い切りのいいストレートパンチをどすっと打ち込まれた感じ。
変な感想かもしれないが、私はエンパワメントされた。
外見で人の価値を判断するルッキズム、女性を軽んじ、男性に奉仕するのが当然の存在とみなすミソジニー、若くない者を蔑むエイジズム。
程度の差こそあれ、現代に生きる人々の多くががこうした差別から無縁ではいられない。
その核心を、これらの差別が最もあからさまな形で表出するショービジネス界を舞台に描いている。
上品にオブラートに包むようにしたり、暗示的に表現したり、多方面に配慮するような、無難にひよったことをしない。
両手に山ほど抱えた爆弾を真正面からどっかんどっかん投げ込んでくるみたいな、「わきまえ感ゼロ」な感じ、それをめちゃくちゃ緻密でハイセンスな映像表現でやってのけるのが、最高すぎた。
(以下、内容に触れています)
見る前には「若さと美しさへの狂おしい執着を持った哀れな元大女優の狂気の物語」なのかなと思っていた。
全然違った。
ルッキズム、ミソジニー、エイジズムが横行する世界においては、女性たちは、男性にとっての理想の美をどれくらい体現しているか、その度合いによって勝手に見出されてちやほやされたり、あるいは勝手に蔑まれて排除されたりする。
男たちの欲望の対象としての女性とはあくまで客体であり、求められようが求められまいが、どっちにしたって人間という扱いではない。
若くて美しくてセクシーであれば、中身なんてほぼどうでもいいし、むしろ知性という面倒な中身など不要で、簡単に手なずけられる無知で純粋なおばかさんが望ましい。
華やかな若い女性で埋め尽くされたうっとりするような光り輝くステージを、男たちの手で作り上げるのだ。
美の原石を見出して、磨き上げ育てたのはこの俺だ、俺は創造主だ、このステージは俺が作った、俺の手柄だ。
下品極まりないプロデューサー、ハーヴェイ(もちろんモデルはあの人)は言う。
でも、彼はピックアップして買っただけ。何ひとつ生み出してなんていない。
外見だけで女性の価値を決め、駒のように人間を使い捨ててはばからないショービズの世界においては、歳を取るという人間にとって当たり前の自然現象は、死刑宣告に等しいものになる。
歳をとった女性は用済みの存在として、それまで生きてきた場所で居場所を失い、去ることを求められる。
とても残酷なことだ。
けれど、女性たちはこんなひどい扱いを当然のこととして受け入れ、耐えることを強いられている。
そして程度の差こそあれ、そういうことはショービジネスの世界だけに限ったことではない。
この作品のハイライトは間違いなく、ラストの新年特別番組のシーンである。
かつてのエリザベスの成れの果てである、目を背けたくなるような異形のクリーチャーは、若くセクシーな使い捨ての美を貪欲に求める人々の欲望の産物だ。
自分たちがどんなに残酷なことを言ったりやったりしているかに無自覚で、人を人とも思わず、誰かの痛みなんて想像もしない、思い上がった浅はかな人間どもよ。
見ろ、これがお前たちが作り上げたものだ。
今お前たちが目にしているものは、お前らが作り上げた暴力の構造そのものだ。
かつてエリザベスだったものの肢体は、人々にそう突きつける。
どろりと溶け出した彼女の体から丸い肉塊が落っこちる。
それは乳房だ。みんなが大好きなおっぱいだ。ほら、これが欲しかったんだろう?
人々は、異形のものを前に、モンスター!フリーク!と口々に罵り、「悪者」を退治しようとする。
やがて、彼女の身体は崩壊を始める。
自らの体から噴き出す血しぶきが、会場全体にシャワーのように飛び散る。
自らにかけられた呪いを意趣返しするかのように、女性を使って自分を楽しませるためにこの会場に詰めかけた男女全員に、くまなく血しぶきを浴びせかける。
これでも食らえ!と言わんばかりに。
まるで消防車が放水しているくらいの勢いと量で血は延々と噴き出し続け、会場は真っ赤に染まり、人々はパニックでなすすべもない。
この圧倒的に素っ頓狂な復讐の滑稽さと痛ましさに、言葉を失った。
こんなグロテスクなものを見て、吹き出し、同時に泣きそうになっているなんて、我ながらシュールすぎる。
でも、こういうとっ散らかった感情に翻弄されることこそ、映画を見る醍醐味だ。
公式サイトに、やはりルッキズムを自身のテーマに据える映画監督、ギレルモ・デル・トロとの対談動画があり、彼らの話を聞くと作品への理解がより深まる。
あのラストシーンでは、現実の世界では私たちに許されていないことを表現しました。
あれが私たちの本当の姿なのです。
彼女は最後に勇気を出し、平安を得て、やっと自分を愛せた。
初めて鏡の中の自分に言えたんです。
もう家には閉じこもらない。
おしゃれしてメイクアップして、外に出よう。
自分の好きな所へ行き、思い切り楽しもう。
彼女は胸を張って「これが私よ」と言い、ついにありのままの自分を受け入れたんです。
やっと自分を愛せて、心安らかになれた。
この作品は言葉が少なく、視覚表現で多くのことを伝えてくるが、言語外の形でこのことは自分にしっかりと伝わっていて、だからこそ、ひりひりとしたエンパシーを感じ、どこか解放される心強い感覚を味わったのだということが、監督のこのコメントで実感された。
デル・トロも絶賛していたが、技術が高いからこそ可能になることなんだろう。
本当のことを勇気と知性とユーモアをもって大胆に表現する人、コラリー・ファルジャ。すっかりファンになった。
未見の前作もぜひ見たい。