みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

「The Bear」シーズン3

 

2022年〜アメリカ/原題:THE BEAR/監督・制作:クリストファー・ストーラー/3シーズン28話 各話30〜45分

うかつにもシーズン3が配信されていたことに気付かず、今頃視聴。

結局シーズン1から全部見返しちゃった・・・。

でも、何度見ても飽きない。やっぱりこのドラマが大好きだ。

配信は、ディズニー+とHulu。

 

シーズン3を貫くテーマは、能力主義を問うということ。

アメリカがあまりにも強く内面化している、ひいては世界中でナチュラルに信じられている価値観が能力主義だと思う。

人物評価の基準はその人の能力(職能)の高さであり、能力が高い者が多くを得るのは当然だし、能力が低い者が得られなかったり居場所を失うことは仕方がないという考え方。

 

だから、今の社会では誰もが「何者か」になるべく、必死になにがしかのスキルを磨く。

子供の時からずっと、集団内のコンペティションの中で、能力の査定を受け続けながら、今の社会で価値を認められている分野における「ひとかどの人」を目指して常に頑張り続ける。

それは、優秀なねじを求める社会にとってはとても好都合な行動様式だから、褒められこそすれ、否定されることは少ない。

この思想を強化する「サクセスストーリー」は、この世界には嫌になるほど溢れかえっており、強い社会圧として機能している。

 

能力主義は、気付いた時には一人ひとりの中に深くインストールされて自明のものとなっている。

そこから何らかの事情ではじき出されない限りは、何とかしがみついていられる間は、そもそも能力主義を疑うという発想を持ちづらい。

それくらい、能力主義とは、現代社会において深く内面化された思想だと思う。

 

でも本作は、今シーズンで「能力主義のルールでプレイするゲームの限界」に向き合い始めた。

こういうテーマがメインストリームの作品から生まれてきたことに、時代の変化を、希望を感じる。

その背景には、パンデミックの影響も確実にあるだろう。

 

これまでの主流の世界は、誰もがしゃかりきに各ジャンルで競争をし、とにもかくにも社会的・経済的成功を目指してきた。

私たちみんな、否応なくその渦に巻き込まれてきたのだし、とりあえずそれに従ってさえおれば、それ以上何かを深く考える必要はなかった。

それが、2019年の11月、中国武漢で原因不明のウイルス性肺炎が発見されたことを皮切りに、コロナ・パンデミックが世界中を覆い尽くし、社会・経済の活動が全てが緊急停止するという事態が起こった。

誰もが平等に無力でちっぽけで不安で、でもある意味においてはあらゆるタスクから解放された静かな凪のような時間が多くの人にもたらされることになった。

2023年5月にWHOがパンデミックの終息を宣言し、だんだんと元の日常を取り戻していく中で、人々は、はたと我に返ることになった。

私たち、またあの日々に戻るのか?

競争と金のために人生の大半の時間を捧げる、あの多忙でしんどいゲームを性懲りもなく再開するのか?

そんなことが「幸せ」だなんて、その定義はどこか歪んでないだろうか?

そういうシンプルで動かし難い問いが、人々の心の内から避けがたく湧きあがってきた。

それは、パンデミックが私たちに思いがけなくもたらした、最も本質的な、大事な問いのひとつだ。

 

 

今、私は久々に組織の中で働くという経験をしている。

ちょうど、「BEEF」(作中のサンドイッチレストラン)と同じくらい(10人前後)の人数のチームだ。

それくらいの人が集まると、まーよくこんなに揉めるもんだと呆れるくらいに人間関係のいろんなことが起こる。

その人間模様のあれこれが、仕事内容に負けず劣らず私にとっては興味深かったりする。

人って面白いし可愛いなあと楽しい気持ちにさせられることもあるし、なんと意地悪で怖いんだろうと震えることもある。

でも思うことは、人にはそれぞれ、そうしたりそう考えるだけのその人にとって正当で切実な理由と背景が必ずある、ということ。

 

人は一人ひとり全員違う環境で生まれ育ち、個別の体質や性質を持つ。

偶然性に基づいた不平等なそれぞれの条件をたずさえて生きていく中で、いろんな出来事、人との関わり、幸運や不運などをその人なりに経験し、結果的にそこそこ強固なその人固有の世界観が練り上げられていく。

それは、その人が生きていく上でのよすがだから、程度の差こそあれ、自分の築き上げたシステムを誰もが信じ、各々矜恃を持っている。

全員複雑で異なった、その人なりのプライドと尊厳がある。

そんなばらばらな人たちが、仕事という名目の下に集い、便宜的に組織の立場を背負い、生きていくための金を稼ぎ出すために協働する。

それが、「組織で人が働く」ということだ。

そんなん、途方もなくめんどくさいに決まっているし、衝突は避けられないし、カオスになるのも当然、てかそれ前提である。

 

そのめんどくさいことをないことにするのも無理だし、なくなすことを正解にするのも無理があることでしかない。

集団である以上、カオスから逃げることはできない。

逃げようと思ったらひとりきりになるしかない。

だから、どんだけめんどくさくてもその都度対処し続けるしかない、できることなら誠実に。

それでもどうにもならないこと、答えの出ないことはけしてなくならない。

全く、やってられない。そう思うのは当然だ。

 

でも、大事なことは、他者と関わることには善き側面もあって、それは人が生きる喜びに直結する、一番なくてはならないものだということだ。

笑い合うこと、助け合うこと、愛し合うこと抜きに、私たちが生きていくことはできない。

だから、人と関わり合うことのめんどくささと不可欠さに、私たちみんな引き裂かれながら生きている。

 

このドラマはまさにそのカオスそのものに、メンバーそれぞれの多様な視点でもってフォーカスしている。

だから、どうしたって面白くならないはずがないのだ。

 

 

シーズン2まではある種典型的な「チーム論」のドラマでもあった。

収拾のつかない状況でてんてこまいだったレストランの厨房に、フランス流の厨房システム「ブリゲード」を構築し、まずは秩序を作り、ビジョンを示し、個々のメンバーの適性を見極め、彼らを信じて裁量を与え、必要な学びの機会を与える。

そのことでこれまで自己否定し、社会に深く失望してきた人が、尊厳を取り戻し、希望に胸を熱くし、どんどんクリエイティブにチャレンジングになっていく。

その過程は、とても感動的だ。

同時に、こぼれ落ちる者がいる。

成長はもはや望まず、今できることを地道にやりたいと思う高齢者、軽度の知的障害を抱える者。

でも、彼らをチームから排除することはしない。

変に配慮的になるのではなく、確かな愛情があるからこそ雑駁に言いたいことを言い合いながら、当たり前のこととして、仲間として包摂していく。

そんなレストランを、一流の料理の才能を持つアーティストであるシェフ・カーミーと、彼の右腕である若い有望なシェフ・シドニーが率いていく。

 

しかし。

それだけでは終わらないのが、人間。

シーズン3では、次のフェーズに踏み込んでいく。

能力が高いほどむしろ、けして満足することができないのが、人間というややこしい生き物である。

人間が、他の生物にはないすごい技術や能力を持っているのは間違いない。

でも、人間は動物のようには調和の中に居続けることができないという業を持つ。

人間って、歴史を振り返っても、ほどほどや中庸が致命的に苦手な生き物みたいだ。

一旦一つの方向に振れたら、どこまでも極まっていこうとする過剰さを持つ。

その過剰さは、あらゆる進歩や繁栄をもたらしたが、同時に人間のあらゆる愚行の要因でもある。

 

一番や優勝といった、最高の他者評価を得ねばならないとなった瞬間に、あらゆることを犠牲にして、いろんな人をないがしろにして、全てを捧げる、死ぬほど努力する、といった極端な過酷さを帯びることになりがち。

語弊を恐れずに言えば、人間のそういう部分って、生物としてのバグっぽい。

一周回ってめっちゃあほなところだなと思う。

 

だって、何かをすることは、何かをするためにやる。

そのことが好きだし楽しいしやりたいからしている。

なのに、あっという間に意図がすり替わる。

勝つためとか、売れるためとか、評価されるため、とか。

だから、一番になれなかったり、大してもうからなかったり、評価されないようなことは、やる価値のないことと思えて、恥じたり、馬鹿らしくなってやめてしまう。

飽きてやめるのは自然だけれど、そんな理由でやめるのは実にもったいないことだと思う。

 

完璧や最高を目指して極端に振れがちな人間の業は、俯瞰で見ればコメディだけれど、でも当人は必死のパッチで命を賭けてるから笑えない。

周囲の人たちを損ない、何もかもを失っても突き進むほどの執念。

そういう極端な邁進って、実は個人的な感情が動機になっていたりするから、非常にはた迷惑である。

自分のコンプレックスや傷つきをどうにかしたくて、大義を掲げて周りを巻き込んでもがき狂ってるみたいなことって身近でも往々にしてあり、またそれに本人が無自覚だったりするので、大変に始末が悪いのだ。

 

シーズン3のカーミーは、まさに個人的な感情をこじらせて、自分の殻に閉じこもった、傷ついた暴君だ。

最終話で彼の精神を壊し、同時に一流のシェフに育て上げた元上司に再会したカーミーは、お前のせいで心身を壊し全てを失ったと罵るが、元上司は涼しい顔で微笑みながら言う。

全てを失った?

まさにそれが肝要なんだ。

俺のおかげで、お前はくだらないことを全て忘れて料理だけに集中できた。

だからこそ、お前は一流になれた。

そしてそれが、今のお前だ。

違うか?

カーミーは、その言葉に一言も言い返すことができず、絞り出すように泣く。

 

一方、カーミーの尊敬する師匠であり、最高の三つ星レストランを続けてきたトップシェフは、こんな言葉を残してあっさりとレストランをたたむ。

私が長年いろんなレストランで働いてきて学んだことはね。

その料理がどんなにに歴史があろうが、美味しかろうが、賞を獲っていようが。

人は料理を覚えてないの。

こんなことをシェフたちの前で言ってごめんなさいね。

でも、人が覚えているのは、誰と一緒にいたかなの。

だからね、今あなたたちがここにいることが、私は嬉しい。

ほんとにありがとう。

お願いがあるの。

次に会った時には、私をアンドレアと呼んで。

 

そんな状況の中で、カーミーはとうとう最高の評価を得ると同時に、チームは軋みを立て綻び、シドニーを失おうとしている。

シーズン4の配信は6月。

このドラマは、「行き過ぎた能力主義」に、どう向き合ってくるのだろう。