みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

小さな買い物とお出かけの効用

普段、ものをあまり買わずに生きている。

主婦は食材やら生活用品などを日々絶え間なく買っているので、何かを探して→選んで→悩んで→買うということをこれ以上好んでしたいと思えない。

買い物は、決まった銘柄や店で、出来るだけ時間と労力をかけずに済ませたい、というのが日常の買い物モード。

 

でも最近春なので、いろんなところに出かけては、ちょこちょこと可愛いものを買っては嬉しい気持ちになっている。

ここ1週間くらいで、鞄と財布、お茶碗4つ、薄手の靴下、携帯電話のストラップ、キッチンで使うリネンの布巾、アイアンフック、インドのブロックプリントのハンカチをよーく検討して買った。

ささやかなものばかりだけど、どれもしっくりとくる良い買い物ができた。

必需品を買うのではなく、素敵なデザインや色彩や質感のものを、じっくり時間をかけて楽しんで見て、どれを連れて帰ろうかと悩み、最後ちょっと思い切ってエイッと自分にプレゼントする気持ちで買う。

買うという行為の楽しさを、久しぶりに思い出した感じ。

 

それでなくとも最近は、ありとあらゆるものが値上がりしている。

値段を気にしだすともう本当に何も買えない、しょぼんとした貧乏くさい気分になるばかりだ。

ぐっとギアを入れるみたいに、買うことを自分に許可することを決めないと、なかなかこうはなれない。

 

変に浪費をするのは気持ちが悪いけれど、不便を無くして自分をより心地良く、快適にしてあげる、日常使いの生活雑貨を美しいものに変えてあげることは、自分に親切にしてあげているという優しい感触がある。

 

それから、先週は仕事がとても早く終わったので(最近端境期でお野菜が少なく、マルシェは昼前に売り切れてしまう)、帰りに最寄りの駅でなんとなく降りなかった。

そのまま下りの電車に乗って何駅か、降りたことのない駅で降りて、その辺をただぐるぐると歩いてみた。

疲れたら美味しそうなお店を検索して、テラス席で一人で高級バーガーを食べ、昼間からワインを飲みつつ、読みかけの本を読む。

家にいると、やるべき気になることに囲まれているので、日中はなかなか読書なんてできないが、こうして過ごすとぐっと集中して最後まで読めてしまって、ひときわ味わい深く感じられた。

 

それから、人ひとりがやっと通れる細い路地を辿って、階段を降りて海岸に出てみた。

風がびゅうびゅうと強く、誰もいない。

波打ち際に荷物を置いて裸足でうろうろしていたら、突然大波が来て、荷物や靴やズボンが全てびちゃびちゃになった。

荷物が波に持っていかれて危うく全てを失うところだった。

5センチぐらい流されたiPhoneが生きていたのは不幸中の幸いであった。

その一瞬はうっそまじか!と思ったが、あくまで一人なので、笑うでも怒るでもなく、黙ってエコバッグに荷物を移し替えて安全な場所に移動させ、しばらくぽかんと座り込んだのち、濡れた気持ち悪い靴を履いてすごすごと海岸を後にした。

濡れたズボンで道を歩いていても、電車に乗っても、バスに乗っても、誰ひとり気付いてなかった。

本当に誰の目にも止まらなかった。

 

そして家に着いて、着替えて全部の砂をはたいて洗い流して、さっぱりしてから夕飯の支度に取り掛かった。

やっぱり誰も何も気付かなかった。

今日のことはなんとなく黙っていようっと、と思った。

 

思いつきで自分を楽しませてみるという遊びも思いがけなく良いものであった。

でも無駄っていいものだなあ。

最近はこういうことをちょこちょことやっては、ちょっとずつ自由という感覚を取り戻す地味なリハビリをしている、という感じ。

 

4月はほどよく忙しく、人と会って喋ることが多いのも良い。

生活のやるべきことを少しだけ丁寧めにやって、さぼる時は堂々とさぼり、目の前の誰かの目を見てよく聞いて、おもねず自分の言葉を愛をもって返すということができていれば、私は落ち着いてくるし、毎日を味わえているという実感を持てるみたいだ。

 

最近はそれがまあまあ出来ているから、何があってもわりと気持ちが穏やかなのかもなあとふと思う。