みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

三浦半島へ

関西から友達が会いに来てくれた。

2年ぶりの再会。

前回会った時は、会社を辞める寸前のタイミングで、心身よれよれでとてもしんどそうだった。

その時は、確か白洲次郎・正子の「武相荘」へ行き、白洲夫妻ゆかりの料理をレストランで食べ、川沿いでお花見をしながら、たくさんの吐露を聞いたと思う。

その後、彼女は体調を崩して手術して入院もして、いろいろ大変だった。

今回は、その頃が嘘のように元気になっていて、ほっとした。

今勤めている弁護士事務所は、とても良い職場みたいだし、彼女の前職での経験が意外な形で活かされる仕事で、やりがいも大きいのだと言っていた。

「だからなんでも一所懸命にやった方がいいんだよ。きっと役に立つ時が来るから」

 

今回のお目当ては、三浦半島

途中、友達のリクエストで鎌倉の「もやい工藝」に立ち寄った。

昔一緒に行った時に買ったスープカップを、長年気に入って大事に使っていたが割れてしまったので、新調したいということだった。

久々に行ったけれど、ここは少しも変わらない。

店主さんの奥様の穏やかなたたずまいもずっと同じ。

ほどよく冷ました美味しい煎茶を小さな民藝の器で入れてくださるもてなしも。

ただ、値段はぐっと上がってしまっていて、昔のように気軽には買えなくなっていた。残念だけど、今はそうしないとやっていけない。しょうがない。

友達は新しいスープカップを見つけることはできなかったけど、自分と夫さんの分とふたつ、感じの良いマグカップを悩みながら選んでいた。

私はひとつ新しい器を買い足し、家族分の茶碗も買いたかったけど、決めきれなかった。

4月の末に恒例のやむちん展をやるそうなので、その時に再訪してゆっくり選ぼうと思う。

ここのやむちんは、読谷の松田共司さんの器などを中心に、素朴で品が良くて素晴らしい。

「food mood」のなかしましほさんとお姉さんでニット作家の三國真理子さんのお店(「ミニ」)も近かったのでついでに訪れ、レモンケーキとお店オリジナルの小さなカレンダーを買った。

駅裏の紀伊國屋スーパーの横にある古アパートの一角にあり、隣にはdanskoや社頭(文具)などがあって、感じの良いスペースだった。

 

そこから、三崎港を目指した。

海鮮の店で昼ごはんを食べ、車で1日かけて半島を回った。

三浦は県内でも農業が盛んな地域で、生産者のレベルが高いことで有名。

運転しながら単一品目で展開する畑の広大さと、雑草一本生やさないという気迫に圧倒された。

農機具片手に立て膝をついて、2、3人が荷台に座って移動している軽トラと何度もすれ違う。

その交通違反などものともしない無骨で無駄のないたたずまいと、垂直に立てた農機具があたかも機関銃みたいで、反政府ゲリラ的凄みを勝手に彼らに感じて、大いに感服していた。

三浦の農家は本気度が違う気がする。

でも私は今のゆるい農家で働くのが性に合ってる。

 

友達のおかげで私も初めて長者ヶ崎へ行くことができた。

人気も少なく、素晴らしい眺望をほぼ独り占め(ふたり占め?)した。

立っていると、足が取られそうなほどの強い風。

ここはいつでも風がびゅうびゅうと吹いているのに違いない。

松の幹が軒並みぎゅーっと斜めに生えていて、不思議な樹形がまるで盆栽みたいだった。

ミウという黒い鳥が海の上をたくさん飛んでいた

春休みで渋滞に幾度も巻き込まれたが、車内ではずーっと喋り倒していた。

これまでのブランクを一気に埋めていくように、最近は何に喜び、何に腹を立て、何が大変で、何が楽しみか、あっちこっち話を飛び散らかしながらひたすら喋った。

今回は私が帰省直後だったこともあり、互いの老いた親のことについてもいろいろ話した。

友達は近々自分たちも家族会議をしなくっちゃ、と意気込んでいた。

これからをどう生きようか、幸せに悔いなくあるためにどんな工夫をしてるか、彼女はたくさんの良いアイデアを伝えてくれた。

その日から私は早速真似している。

 

 

「ねえ、私たちこれまで何度、わー久しぶり!って再会してきただろう。

そしてこの先何度久しぶり!って言い合えるんだろうねえ」

友達はしみじみとそう言って、知り合ってからとても長い時間が過ぎ、それでも縁がつながってきたことを思った。

 

出会った頃、私たちはほんの少女だった。

それが今ではふたりとも立派なおばさんになって、人生って不思議だ。

同年代で、長いこと互いの歴史を知っているからこそ、お互いの表面的な人生のステージがどんなに変わろうとも、揺らがず共有できていることがある。

同時に、家族のようには全てを見せ合う必要はなく、いつもめいっぱい一期一会を楽しむ。

SNSで繋がったりすることもない。

友達は要領が決していい人ではないし、誰かを押し除けてまで欲しいとは言わない人なので、一見損の多い人生のように見える。

けれども、歳を重ねるごとに報われて、良い人々に囲まれ、確実に人生を良くしていっている。

「若い頃は、何もかもうまく行かないって思っていたけれど、どんどん幸せになっていく。

ずっといつ死んでも構わないと思って生きてきたのに、最近死にたくなーい、って思うんよね。

このきれいな景色をずっとずっと見て永遠に生きていたい。

不老不死の薬を作ろうとした皇帝の気持ちが分かるー!」

そう冗談めかして言っていた。

 

自分は絶対に結婚もしたくないし子供も持ちたくないし人生なんて暇つぶしだ。

若い頃、友達は暗い目をしてそう断言していたものだった。

私は今の彼女の言葉を驚き、小さく感動しながら聴いた。

苦労の多い人生を送ってきた人が、それでも人生は生きるに値するのだ、と言ってくれることは、希望そのものだな、と思う。

 

逆に、若い頃の写真を見るのがつらいのだ、とも言っていた。

なぜなら、そこに映っているお嬢さん(自分)が可愛らしいからだ。

若い頃、自分をみっともなく、みそっかすのようになんて思っていたのに、なんだ、全然イケてたじゃない、十分若くて可愛くて素敵だったじゃない。

どうしてあの頃はちっとも自分を認めてあげられなかったんだろう。

どうして全然自分なんてだめだとしか思えなかったんだろう。

そう思って苦しいのだ、と。

それを経てこその今だとは思うが、せつない。

 

私ももちろん同じ。

過去の自分自身を見るのも苦手だが、それよりも子供たちのごく小さい頃の写真を見ると苦しくって身もだえしたくなる。

それはきっと、彼らがこんなにも可愛いかったことに今更気づいて、でももうその頃に戻ってやり直すことは決して出来なくて、当時はただただ必死で余裕もなく、怒ってばっかりだった自分があまりにもったいなくて苦しいのだと思う。

 

 

夜、うちに車を置きに帰ったついでに、ちょこっとわが家にも寄ってもらい、友達を家族に会わせることも出来た。

末っ子に会うのは初めてのことで喜んでくれた。

それからてくてく歩いて、近所のお気に入りのイタリアンで気兼ねなくビールを飲みながら美味しい夕食を食べた。

がっつきすぎて前菜しか撮れてない

こんなに美味しいレストランが徒歩圏内にあるなんて。

小さな子は、少しもものおじしない、なんて面白くかわいいんだろうね。

今日訪れたあちこち、なんて素晴らしい眺めだったろう。

友達は、ビールを飲みながら満足そうに一緒に過ごした時間を振り返って味わっていた。

 

なんでもすぐに慣れて不遜になってしまう私は、当たり前の日常が、彼女のフィルターを通すと輝きだすことに驚く。

自分がすでに素敵なものに囲まれ、いろんなことをすでに叶えている幸せな人間なのだということに、遠くからやってきた友が気付かせてくれる。

 

たらふく食べて店を出て、お店の前のバス停でお喋りしながらバスを待ち、やがてバスが来て、ドア越しに手を振って別れた。

今回も、もしもこれが最後になったとしても悔いがないくらい、笑顔で別れることができて良かった。

 

生きていると良いことも悪いことも避け難く起こる。

他者から疑われたり、貶められたり、裏切られたりすることもある。

それでも品位を失わず、人を恨まず欲張らず、自分の幸せと楽しみに集中する。

友達の基本姿勢は一貫して変わらないなと思う。

でも、歳をとってしぶとく強くなった分、若い頃より頼もしい。

 

自分は全く及ばないが、少しでもはずかしくないようあらねばと背筋が伸びる。

次会う時まで、お互いご安全に。