慌ただしかった3月も、もう最終週。
もろもろ無事に終わって、ほっと一息ついている。
月前半は、恒例の確定申告をこつこつ進めてなんとか終わらせた。
確定申告を無事やり終えると、私はいつも自分が誇らしい。
それはひとえに、これがからきし苦手なことだからだ。
普段、苦手なことは極力やらずに生きているが、それって達成感を味わうことが少ないということなんだなと思う。
苦手をどうにかこうにかやり遂げることの善き側面は、達成感を味わえることと、自分への信頼を積み上げることができること。
先週は、関西の実家に単身帰省していた。
目的は、家族会議。
終末期を含めた介護や医療のこと、相続のことなどシビアな内容だったが、話し合いはおおむねスムーズだったと思うし、初めての子なし帰省で、両親に落ち着いて向き合えて、やっと帰省らしい帰省ができたという気持ちがした。
これまでは帰省してもいつも子供の方ばっかり向いていて、余裕がなかった。
3日間単独行動することじたい、末っ子が生まれてから初めてのことだった。
新幹線に一人で乗るだけで、嬉しくてぞわぞわした。
行きの熱海での新幹線乗り換えの時、いそいそと駅前の足湯に入ったりして、ちょっと浮かれてるやん私、と自分に照れた。

考えてみると、日をまたいで単身で過ごした機会は、この20年で片手で数えられるほどだ。
5年前、娘氏が中学生になってようやくこれからは自由に動けるとなったら、彼女が不登校になって、心身を壊してまあまあかかりきりになり、そんな家族の煮詰まり感を昇華するミッションを背負うかの如く突然末っ子が降臨し、赤ん坊を迎えてからはまた一からの子育てのてんやわんやに入っていった。
私って、笑っちゃうくらいに切れ目なく子育て人生だ。
遅すぎた感もある家族会議だったが、一度で完結するようなことではないし、まずはやれて良かった。
本当は、父がしっかり意思疎通できる頃ならより良かったかもしれない。
でも、弟は長く海外駐在だったし、コロナ禍の4年もあったし、末っ子も生まれたしで、結局このタイミングしかなかったよ、と皆で言い合った。

あくまで話し合いが成立するレベルの家族の話になるけれど、家族会議は、のちのち家族がぎくしゃくしないための大事なプロセスなんだなと今回実感した。
死やお金に関することは誰にとっても言い出しにくい話題だから、うちもずっと先送りにしてきた。
でも、いつかは確実に降りかかってくることだから、どこかで腹を括って向き合って話すほかないのだ。
どう生き、どう死ぬか。何を大事に思い、何はどうでもいいか。
誰もが一人ひとり違う価値観を持っている。
なんとなくお互いを分かっているようなつもりでいても、いざ直接聞いてみれば思いがけない返答に内心驚くことは何度もあった。
話すことは、それだけで何かが解決するようなことではないけれど、状況をオープンにし、家族全員の率直な気持ちを本人の口から直接聞いて、それらを全員で共有することが全ての出発点になる。
もちろん、家族には長年蓄積された関係性や複雑な思いが絡まっているから、難しい部分はたくさんある。
だからこそ、さくさくビジネスライクに処理していくフェイズも必要になると思う。
小さな感情のすれ違いや勘違いや思い込みが、深刻ないざこざに繋がっていくことは往々にしてある。
それだけはなんとしても避けたいから。
大事なことは、家族のメンバー全員を、今はそれぞれ自立した個人として尊重すること。
それぞれの人生の事情や感情に配慮して、誰にも無理に強いることをせず、なんとか折り合いをつけていくこと。
両親が何をしてほしいかして欲しくないか、今、何がしんどくて何はさほど大変ではないかを、一つひとつ率直に聞いていった。
その両親の要望を出来るだけ叶えるためにきょうだいで協力していくべきことは何か、それぞれがどういう形で関わるか、だいぶ輪郭が見えてきた。
また、私がずっと気に病んでいたことも今回クリアになった。
それは、これまでもこの先も、私が両親の日常的な身体介助には関われないということ。
遠方に住んでいるからという理由だけではない。
正直に言って、私は父の隣に座ったり手に触れることさえ抵抗感がある。
感謝の思いはあるけれど、父の下の世話は、私は絶対にしたくない。
(母に対してはそうではない)
自分がそう思っていることをずっと後ろめたく感じてきた。
でも、今回話す中で、母が父の施設入居のタイミングに関して明確に線引きをした。
そして母自身も、今実家の近くに住んでいる妹も含めて、そもそも子供からの身体介助を望まないことを直接聞くことができた。
それを聞けて、思いがけないほど心の重荷が降りた。
今回、母はどんな突っ込んだ質問に対しても世間話みたいなカジュアルさで、かつきっぱりと即答していった。
逆に、父から聞けたのは、つまりは「生きるために生きるのだ」ということだけであった。それだけは強く揺るぎなかった。
後から振り返って考えると、父の願いは、「死ぬまで妻や子に身の回りの世話をしてもらいながら家にいたい」ということだったんだろうな、と思う。
でももう母は長年十分すぎるほどやったと思う。
私たち子供が自分の生活を投げ出して付ききりで介護することはない。
少なくとも彼は、子供にそれを求められるような関係性を築いてはこなかった。
もちろん分かっているから、父は口にしなかったんだろう。
父に対するいろんな思いはあるけれど、今はもう、会えば出来るだけ穏やかな時間を笑顔で過ごしたいと思う。
でも、やれるだけのことはやりたいが、結局はこれまで互いが積み上げてきたなりの関わりになっていくのだと思う。
私たちはそのように関わってきたのだから、それ以上は求められても応えられない。
その人が生きるなかで言ったりやったりしてきたことで、その人なりの人生になっていったということを、誰もが自分自身で引き受けていくしかない。
父も、母も、私も。
そう思っていいのだと、初めて思えた。

資産もオープンにし、大まかな相続の分配についても話し合った。
これからどれだけお金が必要になるかは全然分からないけど、見通しが立つことで皆が安心することができた。
介護、終末期医療、葬式、お墓、実家の家土地、箪笥や写真や母の民藝や骨董、手芸作品や祖母から引き継いだ雛人形をどうするかまで、思いつく限りのことをどんどんざっくばらんにさばいていった。
ただ、死に関する諸々については父は受け止めきれない様子だったので、中断して次回に持ち越すことになった。
これから両親を見送ることへの心の準備が少しできた。
そしてこれから更に段階を踏んでいくことになるのだろう。
ある程度予想はしていたが、今回、父と母の応答はいろんな面で大きく異なっていた。
延命治療についての意思確認をした時、母は項目別にまとめた紙のコピーをさっと持ってきて「これでよろしく」と言った。
心肺蘇生、気管切開、人工呼吸、胃ろうなどの8項目について、回復の見込みがなければ処置をしないでほしい、という内容のメモだった。
「マージャン仲間からコピーをもらっておいたんよ」
母は老いや死について、日頃から友人とフランクに話せる環境を持っているのだと思った。
父の要望は真逆で、治る見込みがないと医師が判断したとしても、胃ろうしてでも人工呼吸器をつけてでも生きたい、というものだった。正直驚いた。
父は、ずっと仕事一辺倒の人生で地域の繋がりもなく、学生時代の友人も亡くして、病のためにずっと一人で家にいて、一日中テレビを見ている。
人生のステージごとに起こるいろんなことを語り合える同世代の友達がいるかいないかで、実際的な知識や心構えや不安の度合いはだいぶ違ってくるのだろうなと思う。
そんな話を帰宅後夫氏につらつらと話していたら、夫氏は「親父やお義父さんは、団塊世代の男性の典型的なありようの一例だと思う」と、言っていた。
脇目も振らずにがむしゃらに仕事をしてきた団塊の男性たち。
とにかく金を稼いで、家や車やあらゆるモノを買って、競争に勝ち抜き、社会的地位を得たり経済的に豊かになることが幸せという価値観を社会に強く植え付けられてきた世代。
「いかに生きるか」とか「自分が本当にやりたいことは何か」なんて問いにつかまったらろくなことにはならないと、時折心にもたげる思いを振り払いながら、ひたすら仕事に打ち込んで生きてきた。
父も、義父も、そんな「企業戦士」の一人だったと思う。
「絶え間なく社会の役に立て、生産性の高い人間であれと言われ続けて、いつか自分の心を見失ってしまったとしても無理もない。
そしてそれは今となっては、もうどうしようもないことなんだ」
馬車馬のように働いた団塊世代の男性たち(と彼らが仕事に打ち込めるように仕事以外の生活を丸ごと引き受けてきた主婦たちの下支え)のおかげで、日本は焼け野原から短期間での復興を果たし、のみならず世界で最も経済の豊かな国のひとつにまで上り詰めた。
けれど、老境に差し掛かった父たちは今、ひどく戸惑っていて、所在なげに見える。
自分の作った家族にかかりきりの20年間を過ぎて、ふと気付いたら、もう父母との別れの時が近づいている。
両親が少しでも納得性を感じて人生を閉じられるように、私にできることはほんの少しでも何かあるのかなあ。
結局は何にもできなかったということを噛み締めることになるような気もする。
それでも、それぞれの配偶者や子供たち抜きのオリジナルメンバー5人が20年ぶりに集ったことが、両親は地味に嬉しそうであった。
リビングで、セルフタイマーで何枚か集合写真を撮った。
普通に仲の良い家族みたいだった。
さしあたって両親の希望に沿って、できる限り頻繁に家族旅行に行くこと、定期的に単身で実家に帰って大量の断捨離をこつこつ進めることが決まった。
モノに溢れた実家。どれくらいの時間がかかるか、見当もつかないが、せめてそれくらいはしっかりやらせてもらおうと思う。


