
「下品な島の猿の話を知ってますか?」と僕は綿谷ノボルに向かって言った。
綿谷ノボルは興味なさそうに首を振った。「知らないね」
「どこかずっと遠くに、下品な島があるんです。名前はありません。名前をつけるほどの島でもないからです。とても下品なかたちをした下品な島です。そこには下品なかたちをした椰子の木が生えています。そしてその椰子の木は下品な匂いのする椰子の実をつけるんです。でもそこには下品な猿が住んでいて、その下品な匂いのする椰子の実を好んで食べます。そして下品な糞をするんです。その糞は地面に落ちて、下品な土壌を育て、その土壌に生えた下品な椰子の木をもっと下品にするんです。そういう循環なんですね」
僕はコーヒーの残りを飲んだ。
「僕はあなたを見ていて、その下品な島の話をふと思い出したんです」と僕は綿谷ノボルに言った。
「僕の言いたいのは、こういうことなんです。ある種の下品さは、ある種の淀みは、ある種の暗部は、それ自体の力で、それ自体のサイクルでどんどん増殖していく。そしてあるポイントを過ぎると、それを止めることは誰にもできなくなってしまう。たとえ当事者が止めたいと思ってもです」
(「ねじまき鳥クロニクル 第二部予言する鳥編」村上春樹著より 引用)
この作品に登場するげんなりするような人々を見ながら、このくだりを思い出していた。
久々に読み返すと、なんだかもう、これで全部が説明されてるじゃん、と思えてしまう。
これに付け加えるほどの感想は特にない、という気持ち。
トランプ就任後のアメリカは早々に大変なことになっているようだが、彼を理解不能なモンスターとして見るのではなく、ひとりの人間として、そのライフストーリーに触れたなら、何かしら対し方も見い出せるだろうか、前向きなアイデアや発想がひらめくってことはなかろうか、と一抹の期待を抱いて見たけれど。
ただただ白目。むずかしい。
少なくとも、彼はもう、死ぬまで変わらないんだろうなと思う。
ロイ・コーンのように病を得て死の床につくほどのことがない限り。
「あるポイント」は、おそらくもうとうに過ぎてしまっているから。
こういう問いはなんだか馬鹿げているみたいだけれど、素朴に不思議だった。
トランプと彼を取り巻く人々が、はなから幸せになりたいと願っているようには見えなかったことが。
資本主義のルールを「攻略」し、出し抜いて誰よりも受益することのみに夢中で、そのためには誰を損なおうと構わない。
法すれすれのきわどいことをして得することが嬉しいし、法を逸脱しても見つからなかったり実際的に裁かれさえしなければ、それは賢い戦略だと考える。
そういう行いを重ねてお金をたくさん儲けて、土地やら株やらいろんなものを買って、金と権力の前に全ての人をかしずかせる。
それが、彼らにとって「人生に勝利した」ということにどうやらなるみたいだ。
なるほど。いろんな世界線がある。
彼らが人生を捧げていることの中に、自分もぜひやってみたいと興味をそそられるようなことはまじでひとつもなかった。
そのことを改めてしっかり確認した。
映画を見た後、トランプの就任式に世界中の億万長者たちが参列した写真を見た。
金と権力に群がる取り澄ました人たちが、映画の中の人たちにそのまま重なって見えた。
その風景の下品さは痛ましいほどだったが、同時にこれからのアメリカの行く末、世界へのさまざまな影響を思うと、暗澹とせずにはいられなかった。
こういう時代だからこそ、「自分はどうありたいか」を見失わないようにしたいと思う。