半月ほど前に献本されたこの本を、選挙中というタイミングもあって、ここ数日ぱらぱらと読み進めている。
哲学者の永井玲衣さんからのお誘いを受けて、娘氏が7章の「選挙をめぐる哲学対話」に参加している。
収録時はまだ選挙権のない17歳だった。
今回は彼女にとって初の選挙になる。
選挙ってめちゃくちゃ猛スピードで進んでるトロッコを急に止めろって言われて、追いかけるんだけど「はいーここまでに止められなかった。だからこうなります」みたいな感じなんですよね。
そんなの無理じゃん、みたいな(笑)
トロッコレースが走り出した時点でもう分かってるみたいな気持ちになって。
しかもそれでだんだん社会がひどい状況になっていってるみたいな。
(中略)
選挙のための情報を集めるのは大変だし、しかも人に話したら苦い顔をされたり、しらけるわみたいなことを言われて、この受け止められなさはなんなんだ。
(「選挙との対話」荻上チキ著 より引用)
選挙って勝手に猛スピードで進んでるトロッコレースみたい。
理不尽さと焦燥感が入り混じった感覚を娘氏なりに伝えたかったんだろう。
いつ解散するか、何を争点にするか、権力者の都合の良いようにルール設定され、あからさまにお金を持っている者ばかりが優位で、私たちに与えられた選択肢はげんなりするほど貧弱で。
でも「選挙によって正々堂々国民から信託を受けた」と、その後はまた何年もやりたい放題されるのを指をくわえて見てるしかない。
何そのトロッコレースまじふざけんじゃねえ、って言いたくもなる。
今回の選挙、ひいてはこの国の政治に対して今感じていること。
問題や課題はさまざまあれど、根本には、この国の政治があまりに「言われるがまま」になっていることがあるのだと思う。
1990年代以降、この国の税金の集め方や使われ方のバランスは非常におかしいことになっている。もちろん。
そのことで、坂道を転がるようにこの国は衰退し続けている。
でもそれは、与党が邪悪だったから、あるいは間違ったことを信じ込んできたために起こったことなのか?
経済が低迷している時に消費税を増税したらどうなるか、非正規雇用を拡大したらどうなるか、彼らにも分からなかったわけではない。曲がりなりにも専門家だ。
ていうか、何が起こっているかは、統計をひと目見ればずぶの素人でさえ分かることだ。
「それがアメリカ(米軍とグローバル資本家)の意向であるならば、どんなに間違ったことでも、どんなに理不尽で非合理的なことでも、やるのだ」という状況から脱しない限り、個々の問題の是非を論じてももうどうしようもない局面に来ているように見える。
不況が続く中であらゆる方法で更なる増税をしながら、軍事費に43兆円を注ぎ込む、と今年この国の政府は宣言した。
他の全ての要素が霞むくらいに圧倒的に大きな比重、つまり私たちの収めた税金の大半は、戦争ビジネスの費用に充てられる。
これって極めて残念なことながら、中米や南米のアメリカの傀儡国家で起こってきたこととほぼ同じことだ。
アメリカは、色んな国に政治、軍事的介入をすることで、その国の政治経済を破壊し、その国の富(税金や公共財産)や国民の命を奪い、それによって誰よりも裕福であり続けている国。
だから、今後日本がどれほど酷いことになっても今の人々を苦しめる政治は基本的に変わることはないだろう。
だって、何をおいてもアメリカの利益が優先されるのだし、どれだけ日本人が苦しもうが、死のうが、アメリカは何も傷まないから。
経団連はもはや日本人経営者の集まりではなく、アメリカを中心としたグローバル企業と投資家の意向で動いている圧力団体である。
だから、どれだけ日本国内の経済を破壊しても、全然大丈夫。
消費税は、彼らが本来支払うべき税金を、自らは払わず、日本人の税金から支払わせるためのものである。
だから、個々の問題は、この国の政治的決定が「アメリカの意思を最優先する」という強制から自由になった時、オセロの面が一気に裏返るみたいにして全てに波及していくということになるんだろうと思う。
そういう観点から考えた時、政党や政治家に必要な資質とはなにか。どう考えるべきか。
「自分の権力と保身のために、喜んでアメリカ(グローバル企業)の言いなりになる、少なくともそのことにやぶさかではない」そういう者を選ばない。
アメリカの属国という現状から、交渉力をもって平和的に自立を勝ち取っていく、外交的に戦う姿勢を持つ勢力をできるだけ大きくする。
シンプルに私はそういう基準で考えている。
どれほどの不正を重ねようが、今回も自民党は数の力で勝るのだろう。
そのことが、この国にどれほどの無力感を蔓延させていることか。
どれだけ人々の気力を奪っていることか。
あまりに罪深いことだと思う。
そんな中、私が期待をもって見ているのは、山本太郎氏。
いくつかの党首討論を面白く見た。
「それは言わない約束でしょう」ということを次々と口にする彼を、その場の他の全員が「和を乱す」者として苦々しく思っているように見えた。
政治家、それも党首を務めるような人は基本的に皆、自分に都合の良い論理を強引に正当化することに相当長けているはずだが、面前で矛盾や事実でないことを指摘されてしまうので、その場しのぎの理屈で言い抜けることが塞がれてしまっていた。
逆に言うと、権力者に「言った者勝ち」にさせないためには、ここまで幅広い知識を持ち、当意即妙な受け答えをできるだけの理論武装が必要になるのだなあと思ってしまう。
年中街頭に立って、さまざまな人々から投げかけられた疑問にその場で答えてきた人の蓄積してきたものがあると思う。
人それぞれ色んな見方や感じ方があると思う。
何はともあれ、目の前に可視化され、自分なりに考えることの材料があるということはましなことだと思う。
30年かけて作り込まれた今の状況を、一気呵成に変えることは難しい。
でも、「どんな世界に生きたいか」を一人ひとりが自分なりに想像し、そのイメージを持って意思表示を続けていくことの積み重ねは、思うより短期間に社会に変化をもたらすのだと思っている。
だから私は今回も、なんとかあきらめず投票に行こうと思う。