昨日の午後は市内某所での集まりに本当に久々に参加して、そこでもしや会えるかなー会いたいなー、となんとなくイメージしていた人に無事会うことができた。
しかし、その人が来月にはこの土地を離れて新しい人生を踏み出す、それも単なる移住とかではなく、仏門に入るということを知らされ、どびっくりであった。
その人の風貌は、昨日見た時にすでにお坊さんそのものに見え、その時着ていた赤いチェック地のラフなジャケットよりは、袈裟の方がずっとしっくりくると思えるほどで、その雰囲気の変化にも静かに驚いていた。
人の選択は、すべてが一長一短なんだろうし、基本全部が正解なんだと思うけれど、彼に降って湧いたように訪れたその人生の流れは、あまりに自然で、無駄な力がひとつもかかっていない穏やかさで、なるほどと深く納得させられるものがあった。
再会が嬉しくて、別れがたくてしばらく二人で立ち話をしていたが、きっとしんどいことやつらいこともあったんだろうなという優しくて傷ついたきれいな目をしていた。
じっと目を逸らさずに、笑顔で、噛みしめるみたいに優しく話し続けるその人と向き合っていると、不意に泣けてきて、慌てた。
こういう人を、今の暴力的な世界はどこまでも軽んじて踏みにじる。
隅へ隅へ追いやり、時には生きる最低限の小さな場所さえ奪ってしまう。
弱さを面倒くさく思い、声が小さいからといって何も考えてない人みたいに思い違いする。
どんだけ逆かよと思う。
簡単に白黒つけて切り捨てる、大声や力で押し通すことの、どれだけ雑で、浅はかなことか。
彼のような人が、自分の安心していられる場所で自分の生きたいように生き、彼にしかできない優しさと丁寧さで、人を助けて生きていく道に入っていくことになったことが、本当に嬉しいし、ありがたい。
もう会うこともないかもしれないけれど、幸せに生き抜いて欲しいと願う。
彼のような人が馬鹿にされたりいじめられたりする世の中を、絶対に肯定したくはないからだ。