みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

どんどん外へ

雨の中、娘氏は都内へ。知り合いづでて某メディアから出演依頼を受けている。

最終的に引き受けるかどうかは未定だけれど、社会科見学と思ってとりあえず行ってみれば〜、と勧めておいた。

「あなたにぜひお願いしたい」と誰かに言われたことは、自分が思うよりも適性のあることなんだと思うので、嫌じゃなければ思い切ってトライしてみるといい。とりわけ若いうちは。

 

このところ、何かと彼女に行ってみれば、やってみれば、とすすめている気がする。

自分からがつがつ何かに手を伸ばしてる感じは特にないのに、向こうからいろんなものが降ってくる感じ。

あんなに一日中引きこもって病んでいたのが嘘みたいに、娘氏の日常がアクティブになっている。

毎日朝早く起きて、週に3回フルタイムのアルバイトを続けてるなんて。

まだうまく信じられない。

 

先週は、このイベントの養老先生と中沢新一氏の講演を立て続けに聴きに行っていた。

養老先生の融通無碍な語り口に自分の若さを痛感し、中沢さんの縦横無尽の教養をベースとした刺激的な話に「学ぶってこういうことなんだなーって思った」と感心しきりだった。

講演後に素敵な大人の女性とお茶をする機会もあって、色んな出会いを楽しんでいる様子に嬉しくなる。

 

自分が地方出身者だからこそ実感するが、東京圏内に住んでいる文化的なアドバンテージはやはり大きいものだと思う。

直接生身のその人に接してみると色々腑に落ちることやなるほどと思うことは多いので、気になる作家や芸術家に直接会いに行くことは良いことだと思う。

パリにいる息子氏も、なんだかんだで週2ペースでコンサートに通う生活をしているらしい。先輩にチケットを安く横流ししてもらえるみたいでありがたいことだ。

 

小さな枠組みからどんどんはみ出して、色んないいものも悪いものも見聞きして人と出会っていくことが、若い頃には一番だと思う。

自分の教えられることなんてほんとに限られているし、むしろ一番役立つのは反面教師としての役割くらいなんではないだろうかと思っている。

 

夜、帰宅した娘氏からあーだったよこーだったよとみやげ話を聞く。

詳細が書けないのでちょっとぼやかして書くが、メディアの大人ってのはずるいもので、自分たちのフィールドで話を進めるために、そもそもの前提条件がアンフェアだったり、ゴールポストをずれたところにさりげなーく置いてみたりするわけである。

あたかもそれが当然、常識みたいな顔をして。

自分たちの手の平の上で物事が逸脱なく展開するように。

けれど、そういう大人の姑息なトラップに、娘氏は

「だって、そもそもそういう恣意的な設問をすれば、話の展開も当然地に足のつかない、宙に浮いたものになることははじめから分かるから」と別に敵意を持つことも相手を否定することもなく、でもひとつも同調しないで通したみたいだった。

その場にいる人たちが皆、お金やメリットデメリットの話ばかり熱心にしているのにびっくりしたと言っていた。

まず賛成か反対かという立場を明確にしようとするのも、全然肌に合わないみたいだった。

それで聞き役に回っていたが、時々急に振られて自分の意見を問われても、誰もが言葉がひどく流暢で、でも言っていることがよく分からなくて困ったなあと思っていたと。

それでも、普段の生活では会えない、興味深い経験をしている人の話を聞けて面白かったよー、色んな人がいるんだねえ、とにこにこしていた。

 

なーんか目に浮かぶなあと思いつつ、それもこれも経験だね、と思う。

何よりも娘氏が、変にその場の空気を読んだり大人の期待に変に応えようとせず、別段敵対的になることもなく、ただ自分自身が落ち着いて本質的であることで、誰かに誘導されたりコントロールされたりせずに自然にいられることができる人であることを嬉しく頼もしく思った。

本人はなんだかなあ、浮いちゃってて困ったなあ、あんなんでよかったのかなあ、と言っていたけど。