みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

「対峙」

2021年アメリカ/原題:Mass/監督:フラン・クランツ/111分/2023年2月10日〜日本公開

 

2021年にアメリカ国内の学校で起こった無差別銃乱射事件、249件。

これは休日を除くほぼ毎日、国内のどこかの学校で銃乱射事件が起こっているということで、あまりに異常な社会状況だといえる。

 

本作は、実際の銃乱射事件の加害者/被害者両親の対話の記録にインスピレーションを受けて作られたフィクション。

事件後6年経っていまだ立ち直れない銃乱射事件で息子を失った夫婦が、セラピストの導きで、息子を殺した加害少年(犯行後自殺)の両親と対話する。

 

ほぼ全編が部屋の中で4人が話しているシーンのみ。

あまりにも折り合いのつかない、苦悩に満ちた状況を、ただ息詰めて見守る。

俳優の真に迫ったやり取りに圧倒される。

見終わった時には、へとへとになった。

 

何がどうだった、とおいそれと言葉にできない気持ち。

ここで語られているものはあまりに重たい。

こんなに辛いことがあっても、人は生きていかねばならないのか、と思う。

そしてアメリカにおいては、このような人々が毎年何百人単位で増え続けているという現実がある。

なんという悲劇だろう。

 

ある種の物事においては、誰が悪かったのか、何が悪かったのかという犯人探しをどんなにやっても、根本解決はなく。

いろいろな偶然や、複合的な要素が絡み合った末に不幸に結びついてしまった、誰もができるだけのことをしようとしたが、避けがたく最悪の事態に至ってしまったということが世の中には存在する。

 

許しあるいは赦しって、なんなのだろうとずっと分からなかった。

相手のために、大人になってこだわりを手放すとか、包摂するとか、そういう事はどこか無理のある、きれいごとのように思えた。

でも本作の「赦す」には深い納得性を感じた。

 

本作のクライマックスは、被害少年の母親ゲイルが「加害少年の両親を赦す」と言うところだと思う。

彼女は言う。

「過去に別の現実を望む気持ちに、私はこれ以上人生を支配されたくない。私は生きていきたい。だからあなたたちを赦します」と。

相手のためとかそんな甘いことではなく、解決もなく、自分の人生のために赦すのだ、とゲイルは言った。

不幸でい続けることを心底もうたくさんだと思うくらいに、疲れ切ってへとへとになるほどに6年間悲しみ尽くし、恨み尽くした末に。

 

だから、誰かの深い悲しみや恨みに対して、他人がもう許せだの忘れろだのしのごの言うのは、本当に大きなお世話なのだと思う。

それは、ゲイルにとって不可欠なプロセスだった。

誰にもその人の人生のプロセスを奪う事はできないし、してはいけない。

自分自身の人生のプロセスを他の何かや誰かに明け渡してしてはいけない。

 

 

対話が始まる前に、対話の場には参加しないカウンセラーと教会のスタッフとの会話で、対話の場のしつらえ、どう場を整えるかに細心の注意が払われるシーンが印象深かった。

自分も当事者会をやっているので、話す人にとって安全な場をつくる重要性をすごく感じている。

些細なことで、対話は暴力的になりうる、全てが無に帰すことになりうる。

鈍感さやノイズが命取りになる。

雑さや傷つきはもちろん、人との関わりでは完全には避けられないことだから、受け流すいい加減さも大事だけれど。

本作のようなケースは、いくら配慮してもしすぎる事はないくらいに、センシティブなケース。

 

人生には苦しくやりきれないこと、すっかり打ちのめされてしまうようなことが起こる。

それでも命が終わるまでは、人はなんとか生きていかなくてはならない。

そのために、安全に自己開示できる対話の場は不可欠なものだと思う。

誰かの一方的な価値観やジャッジで否定されたりマウンティングされたりすることなく、安心して自分の本心を語ることのできる場を、一人ひとりが確保できることは、命綱だと思う。

対話が全てを簡単に解決できるわけではないけれど、心を開いた対話の価値をこの作品は教えてくれていると思う。