みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

「イニシェリン島の精霊」

ポスター画像

2022年イギリス/原題:The Banshees of Inisherin/監督・脚本:マーティン・マクドナー/114分

 

こんなにすごい物語を書く人がいるのかと感服しながら見た。

アイルランドのど田舎の孤島に住む地味な中年男が、ある日突然長年の付き合いだった友達に嫌われる。

そんな一見卑近な話と思いきや、こんなにも多層的で心を乱される、人間世界の怖さやままならない悲しみを、まるごとぎゅーっと圧縮したような物語だったとは。

自分には、まるで小宇宙みたいに全部が含まれているように感じられた。

謎めいていて、美しく洗練されてもいる。

古びた意味ありげなスノードームを両手のひらに乗せて目の前に差し出すみたいにして見せられたという感じ。圧倒された。

 

こんなに誰かと語り合いたくなる映画もないってくらい、鑑賞後の我が家は盛り上がった。まる二日、何かあると蒸し返すみたいに喋り続けて飽きなかった。

それだけでもうほんとにすごい映画だと思う。

あんだけ長尺だった「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」が、感想1分で終わったことを思えば(笑)。

見た人によって感想が全く異なる。

この映画をどう見るかは、その人の人生観みたいなものに結構直結していて、興味深いと同時に怖くもあるほどだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

(以下は思いのままに書いた感想。内容にたくさん言及しています)

マーティン・マクドナーは、前作の「スリー・ビルボーズ」同様、本作も燃えさかる人間のエゴが、人生の全てを台無しにする物語を描いた。

どうにも止めることができない、巨大な人間のエゴの物語。

やるしかないと思い詰めて、もう前後の見境も何も無くなって、全てを焼き尽くす。

全てが終わってからぽかんと我に返る。

後に残るは不毛の地。

そして一抹の納得感と、自省の念。

そんな人間の愚かしさを今回も存分に見せつけられたという感じ。

 

コルムについて。

知的で、ものを考える人間にとって、その傾向が深まるほどにエゴは避け難く増大していく。

人間は、何かをせずにはいられない生き物だし、エゴは、無意味に耐えられない。

そして、退屈は一見無害で平和なように見せて、人を殺すほどに蝕む恐ろしいものである。

 

コルムは、自分の人生が不本意である理由の一つを、パードリックのせいと考える。

パードリックと付き合うことで、自分は満足のいく表現ができず、何者にもなれず、いたずらに自分の人生の時間を浪費するのだと彼は言う。

パードリックを自らの人生から追いやることで、自分の人生はもっと充実するのだと。

論理的にものを考える人は、自分の現実が気に入らない時、不幸を探して集め出す。

時に、その矛先はそばにいる誰かに向けられる。そのようにして原因を体よく外部化する。

もちろん、誰かから命に関わる、度をこした加害を受けている場合は全く別の話。

けれど、そうではないコルムを含む多くの場合において、問題の本当の要因ややってきたことのツケも責任を自分の中には見ないで、自分は本当はこんなもんじゃない、本当はもっとやれるし、もっと才能がある、それを不当に誰かに奪われたって思っているのは、自己中心的で人として見苦しい態度に思える。

そのようにして、不幸の原因にされた側は、とても傷つくし、自分の何が悪かったのかと悶々と悩むことを避けられないのだから。

 

パードリックについて。

ある日突然、自分の親しく付き合ってきた友に「お前が我慢ならない。もう自分に関わるな」と言われることは、一見よくある人生のトラブルみたいなんだけれど、人生の地獄のうちでもかなり高ランクに入るきついことじゃないかと思う。

相手に対して何かやらかしてしまったのなら、それはそれで受け入れられる。

しかし、パードリックは何か間違った言動をした訳でもない。ただ普通に生きている自分自身を突然全否定される。

お前は退屈でつまらない人間だ、お前と関わるのは人生を浪費することだ、と。

 

そのように言われてたところで、パブが一軒しかないような小さな島ではしじゅう顔をつき合わせることを避けられない。

相手の姿を目に入れながら無視して生活し続けるって、相当なストレスだ。

むしろいつも相手のことを強く意識せざるを得ないだろう。

だからもちろん、コルムの振舞いは、パードリックにとってはとても身勝手で残酷なものだ。

 

一方で、コルムがこれほどの憤懣をパードリックにぶつけるには、相当積もり積もったものがあるはずで。

「それまでの日々」は作品には全く描かれていないので、想像するしかないけれど。

パードリックは自分の善良さを全く疑うということがない。

ただ自分がナイスであれば問題ないと考えている。

相手に迷惑だと言われてもその現実をそのままに受け入れることができず、構わないでくれと懇願する相手にしつこく絡み続ける。

 

そこでコルムは、これ以上自分につきまとうなら自分の指を切り落とす、楽器を弾く大事な指を、お前のせいで俺は失う、と宣言する。

ここまでいくと、コルムのエゴと倒錯的な狂気を感じないわけにはいかなくて、そこまで徹底して自分の不幸をパードリックに外部化するコルムには怒りを感じる。

けれど、相手がそこまで嫌がっているのに、自分を変えようとしない、相手への執着を当然のようにやめないパードリックの自覚のなさも、それはそれでエゴとしか言いようがなく、狂気じみた薄気味悪さをはらんでいる。

自分が正しい、無垢であると信じている人が、相手が何を望んでいるかを全く考慮しないで自分の親切を押し付けることの加害性が非常によく描かれている。

「良い人」の悪気のない善意が、時にこれほどの暴力性を帯びる。

 

また、パードリックは、もういい歳の中年男だが、自分で自分の生活を立てられなくて、聡明な妹シボーンに身の回りの世話を焼いてもらっている。

妹にも優しい良い兄だが、自分が彼女の人生の自由を奪っていることを、想像もしていない。まるで当然のことみたいに受け入れている。

良い人であるということに安心しきっていることで、彼は自分が依存的であることの自覚もなく、他者への想像力もなく、自立して生きるという気持ちも欠如したまま、つまり人として未熟な状態にとどまっている。

それらは、「良い人」という一点において、免罪されることだろうか?

 

シボーンについて。

「俺はもっと意味のある、価値あることをしたい。あんたなら俺の気持ちがわかるはずだ」と言われたコルムを、シボーンはくだらない虚栄心だと言下に否定する。

1920年代の抑圧的なアイルランド社会に生きる自立した女にとっては、中年の危機にもがく男の苦悩は、地に足つかない甘えにさえ感じられる。

言っていることは理解できるが、もう何から話せばいいのやら、という絶句が見てとれる。

一度は自分の能力を活かせる仕事に就くことを諦め、「女の人生」を受け入れて、兄の世話をしながら島で生きていくと心に決めたシボーンだが、結局最後は、兄とコルムとの諍いにうんざりし、意地悪で内向きな島の人間社会のしょうもなさに愛想をつかすように、全てを断ち切って島を出る。

彼女は、環境を変えることで、ようやく誰にも干渉されず、自分のやりたいことをやって生きる人生を手に入れる。

 

ドミニクについて。

そして島の若者、知的障害があって皆に馬鹿にされているドミニクがいる。彼は警官である父親に身体的、性的虐待を受けている。

ドミニクは、心根の優しいパードリックになついている。そしてシボーンに恋している。

他の皆が単純な男だと侮っているパードリックの美点を高く評価し、そして「大人たち」の小賢しさ意地悪さをドミニクはじっと見つめている。

しかし、パードリックが嫉妬のあまり底意地の悪い振舞いをしたことにドミニクは深く失望し、去る。シボーンへの愛も受け入れられず、あとに残るのは虐待する最低な父親との生活しかない。それで多分、ドミニクは絶望してしまったんだと思う。

 

この残酷で厳しい社会では、良い人や純粋な人が、そのままに生きることができない。

彼らは時に殴打され、罵られ、排除され、利用される。

醜い人間社会に幅寄せをされて居場所をなくし、自信をなくし、自分を惨めに思って死にたいと思う。

しかし、実はドミニクの愛は、シボーンの命を救い、パードリックや最低な父親にさえも寄り添っている。

でもそんなことは、愛を向けられている当人ですらも大して気に留めないし、感謝されることもない。

 

コルムとパードリックの「友情」について。

皮肉なのは、これだけ徹底してパードリックを排除しても尚、コルムはパードリックに対して深いところで友情を感じ続けていることだ。

コルムは、パードリックが何を大事に思い、何を大切にして生きている人なのかということを、深く理解している。

それが、社会の常識とどれだけずれていようが、その重要性については留保なく尊重するのがいざという時の態度にあらわれている。

コルムはパードリックを本当には嫌ってなんていない。彼はむしろ友に甘えきっている。甘えて、持て余したエゴを友に押し付けて、なんとか自分だけ楽になりたい。

そんな自分の身勝手さに無意識的に気付いてもいるが、それでも尚、どこかでコルムはパードリックに許してもらえるとどこまでもたかをくくっている。

一方、パードリックは鈍い。友を愛し、その幸せを願う善意はあるが、相手を察し、理解しようという思考回路には欠け、相手の何も見ていないし、何も気付かない。

どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、それがその人の性質なのであって、絶望的にいかんともしがたい。

 

しかし、妹とロバのジェニーを失って、パードリックはほんとうにほんとうにコルムに対して怒る。

パードリックは、日時を予告して、迷いなくコルムの家に火を付ける。

燃え尽きた家を背に、コルムは「これでおあいこだな」と言う。

コルムはどこかすっきりとした表情をしている。彼はいろんなものを台無しにして、全部もやし尽くして、やっと彼のエゴは気が済んだのだ。

「あいこではない。ジェニーは死に、お前は死んでいない」

パードリックは冷たく言い放つ。

「終わらない争いがある。終わらない方がいいものもある」

砂浜の向こうでは、アイルランド内戦が続いている。

コルムが犬の世話をしてくれてありがとう、と去り際に声をかけると、

「Anytime」とパードリックは言う。

その、皮肉で複雑な表情。単純で気のいい男はもういない。

 

二人の老いつつある男は、牢獄みたいな島から一歩も出ずに、陰鬱な思いを抱えて生きていく。

パードリックはただただ妹に帰ってきてほしいと願いながらベッドに横たわる。

妹を失った家は、動物たちに侵食され、タ・プロームみたいにどんどん自然に押し流されるようにしてやがて家ごと飲み込んでいくように感じられた。

人間のどうしようもなさの前に立ち尽くすようなラスト。

 

 

他にも、死神みたいな老女マコーミックの投げかける謎や、閉塞感を絶妙に表現した平板な音楽、雄大な自然を捉えた撮影、バリー・コーガンの天才的な巧さなどなど、論点は尽きず、書ききれない。

今年のベスト作品の一つになること間違いなし。