みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

新年考 料理について

末っ子のウイルス性腸炎を移され、ようやく治ったほっとしたと思ったら、立て続けに夫からコロナを移されるという、泣きっ面に蜂みたいな年末年始である。

今回ばかりは、よほど日頃の行いが悪いのかもしれないと真剣に悩んだ。

我が家の病気の波はクリスマスイブから始まって、今日は1/5だから、なんと、もう2週間近くみんなして順繰りにふせっているのか。

 

けれど考えてみると、義実家にも行かず、幼児の世話は家人に丸投げしてただこんこんと眠り、目覚めてもろくに立ち上がれないのでベッドの中でだらだらと本を読んだり、古い映画を見たりして、こんな「贅沢な正月休み」は結婚して以来なかった!とも言える。

料理も完全に放棄した。ひたすらぬくぬくごろごろと過ごすなんて、コロナに罹らなければあり得ないことだ。

飽きるほど何もせずに休んだのは、まじで20年ぶりとかかもしれない。

それにしても、ここまでならないと休むことが許されないと思う、この心とはなんなんだろうな。

 

私が稼働していないと、我が家のQOLが一気に下降することも実感した。

主婦って存在もやってることも平凡で当たり前。だから、ここまで主婦が家族の生活の質を決定づける存在だとは自分自身なかなか実感できない。

でも、こうしてまともな食べ物に何日もありつけないということが起こると、日々の食卓を整えることは、ささやかだけど偉大なことなんだと痛感する。

 

これまで自分は家族のために食事をこしらえている、という気持ちで日々料理に接してきたが、自分自身を生かすためにも料理を作ってきたという当たり前のことに、今頃になってようやく気付きもした。

私はこれまで家庭の料理を担うことについて、当然で、無休で、無給で、多くの時間を奪われ、ほとんどリアクションも得られないといったことについて、もちろん他の主婦の方々と同じように、日常の中で淡々と受け止め、あんまり考え詰めないようにしてきたわけだが、心の底では自分で思うより不本意で辛かったと思う。

自分がそう思うことを不当だとは思わないけれど、そこから生まれる恩着せがましい思いは純粋に不毛だ。

2023年は、ひとつ「自分の身体と楽しみのために料理を作る」という意識を持ってみようと思う。

 

今回びっくりしたのは、夫がこの究極の状況になってもほとんど食べ物をこしらえることをしないで、あくまで買って済ませ続けてきたということ。家にはいろんな食材があったにも関わらず。

1週間以上、コンビニやスーパーの揚げ物とかテイクアウトなどが続いたら、普通心底嫌になりそうなものだけれど、彼は別段平気みたいなのだ。

そうだった、この人は母親が一切料理をせず、父親の買ってきたものを食べて育った家の子供だった、ということを思い出す。

一緒に暮らし始めて20年経つけれど、やはり人は色々違うんだよなあ、当たり前のことだけど、と思う。

 

私の人生は私がこの先老いたり病んだりして料理ができなくなってしまったと同時に、今ある食生活の豊かさは失われるのだ・・・ということを、今回リアルにはっきり認識した。

その時まではなるたけ元気で滋養のある料理を日々作って行こう、と思う。

そして、作ろうと思えば自分でも作れるが自分では一切料理をしないっていうのは、勿体無いというか、やっぱり人間生きていく上で片手落ちなものじゃないかしら、と思った。

稲垣えみ子さんも著書で書いていたが、料理をするスキルがあるということは、生きる基本技術を手にするということ。料理をせず誰かにまるっとやってもらうのは、実はラッキーでもなんでもない。生きる技術を他者に委ねているということに他ならない。

 

とはいえ、誰もが生きるために食べていく必要があるけれど、ある種の人は料理に楽しみや喜びを見出し、ある種の人はいつまでも苦手意識を持つ。

どうせなら、できるだけ料理と良い関係を築いてゆけたらハッピーだ。

私の場合、決まりごとだらけの「和食の教科書」みたいな本を、若い頃読まなきゃ良かったなー!という後悔がある。

もちろん必要としている人はたくさんいるし、正論なんですけどね、辰巳芳子さんとか。

でも、私は全然真に受けなくていいやつだったと思う。

主婦たるもの、完璧な出汁を取らなくては、という呪いとか。

料理を必要以上に難しく考えたり、自分なんてだめだめだ、自分は料理が下手なのだ、って思い込んだりした分、個人的には害の方が大きかった。

自分なんてへたくそだ、今日もうまくできなかったって落ち込むんではなく、変な実験料理を自由に楽しく作ってハッピーな方がよほど良かった。

土井先生の「一汁一菜」の考えなどと先に出会っていたら、だいぶ苦手意識も違ったろう。

 

年末に、本格的なフランス菓子のレシピでお菓子作りをした時に、できたお菓子を食べた娘氏が、美味しすぎて負担感がある、と言っていた。

そんな毎日がご馳走である必要はないよね、と娘氏はよく言う。

美味しすぎるもの、リッチすぎるものを毎日食べたくない。

その感覚も、料理を作って行く上では大事なポイントだなと思う。

夫とはそこの感覚がなかなか共有できない。

 

これまで、男二人に濃い味のファミレスぽいご馳走メニューみたいなもの(ハンバーグ、ビーフシチュー、グラタンなど)を頻繁に求められるままに作ってきて、それは自分の身体には必ずしも合っていなかった。

息子氏も家を出ていなくなったことだし、夫も年だし、今年は、もうちょっと身体に負担のない食事を中心に回していきたい。

美味しすぎない、体が喜ぶものを、落ち着いて調理していただく。適度にサボって自分に優しくしながら。

できるだけ身体感覚を生き生きとさせた状態で暮らしたい。